クリスタニアの続きの続きの話

 昨日書いたようなクリスタニアの戦闘バランスについては、実際そうしたように、何らかの形で調整を入れれば何とかなる話だった。
 しかし、今日のエントリで書く話はそうはいかない。クリスタニアという「物語」の根幹に根ざす話だからだ。そして、それこそが、私が「是非、クリスタニアのキャンペーンをやりたい!」と思った理由でもある。


 一言で言えば「公式のストーリーに納得がいかなかった」のだ。


註)以下、クリスタニアについての独自解釈が交じります。公式設定と矛盾するかもしれませんがご容赦ください。

定番のヴィラン


 クリスタニアのリプレイは面白かった(今の感覚だと疑問符がつく部分も多々あるが)。劇場版クリスタニアも面白かった。漂流王がピロテースの名を呼びながら「我が魂を救え……」と慟哭するシーンは今でも泣ける。
 しかし、それでも私は納得がいかなかった。


 クリスタニアの公式展開で悪役にされていた神獣の民は、もっぱら次の2部族(もしくは3部族)である。*1
 復讐を司る「密林の猛虎」バルバスの信徒、猛虎の民(グレイルなど)。
 商業を司る「双尾の狐」スマーシュの信徒、双面の民(ムーハなど)。
 これに、結界を司る「虹色の大蛇」ルーミスの信徒、大蛇の民(リオなど)が入る場合もある。


 特に前者二つは、クリスタニアに巻き起こった侵略戦争の当事者だったため、悪役の定番にされていた。しかし、これを信仰心の発露と考えるとどうだろう。
 バルバスはファラリスのような暗黒神ではない。信徒も全て邪悪とは限らない。侵略そのものを是とするわけにいかないとしても、漂流していた(ロードスからの避難民である)暗黒の民を受け入れた時点で、ベルディア地方だけでは立ち行かないことは明らかだ。暗黒の民に手を差し伸べたことが間違いだというなら、「純白の大白鳥」フーズィーが新しき民(これもロードスからの避難民)を受け入れたことも間違いになってしまう。フーズィーとバルバスはコインの表裏であり、両者の違いは、極論してしまえば「自分の守護する民が残っていたかいないか」だけだ。
 スマーシュはもっと酷い。「商業」を司る神が「邪神の片棒担ぎ」のような扱いを受けてしまった。侵略の真正面に立たされた双面の民が生き延びるために、その選択は仕方のないことだった。それ自体は公式でも言及されているのに、物語上で救済が用意されたとは言いがたい。


 復讐することは悪いことなのか? 身近な人間を殺されて、泣き寝入りすることが正しいことなのか?
 神獣の民に「交流して、互いに必要なものを交換し合い、もっと発展しよう」と持ちかけてはいけないのか? クリスタニアに商業を広めることは「悪」なのか?

最も恐ろしい者


 そして、もう一つ。ビーストマスターの能力一覧をフラットな視点で見渡した時、バルバスの能力は(ストーリー的には)特に怖いと思えなかった。それよりも、悪用したら飛び切り危険な能力が他にあったからだ。


 「眠れる灰色熊」ウルス率いる、封印の民の能力である。


 抵抗判定一発で相手を無力化し、時間こそかかるものの、封印が成功すればその存在を消滅させられる。殺すのではない。最初から存在しなかったことにできるのだ。
 封印伝説クリスタニアでは、ウルスは心優しい存在とされていた。封印の民も穏やかに描かれていた。しかし劇場版のロームのように、自分にとって都合の悪い存在を混沌と断じ、自分の判断で封印してしまう封印の民が他にもいたとしたら? 邪悪な……いや、偏狭な正義感を持つ人間が封印の民の中にいたとしたら?


 これらの疑問に、いくつかのミッシングリンクを組み合わせたところで、キャンペーンシナリオの概形ができた。


 例えば、神獣の民の連合傭兵部隊である「獣の牙」は、双面の民がベルディア帝国の侵略に対抗するために創始したとされる。しかし、それならばなぜ、獣の牙の創始者の名前は後世に伝わらなかったのか? そもそも、「商業を司る神の信徒が作った施設」は、果たして最初から「戦うための施設」だったのか? などなど。

もう一つのクリスタニア

 主人公は「大切な人を“誰か”に奪われたが、“誰を”“誰に”奪われたのかすら覚えていない」行き場のない復讐心を胸に抱く猛虎の民と、その仲間たち。
 キャンペーンヒロインは「人々の交流の必要性と、言葉の危険性と大切さを説きながら北クリスタニアを巡っていたが、ある日忽然と姿を消した」双面の民。
 敵は「そんなヒロインを“クリスタニアの完全性に綻びを入れる混沌”として封印した」封印の民。
 そして、時代はちょうど「封印伝説」でオーヴィル、クイルド、ライファンが「覚醒の鐘」を鳴らし始めた頃のこと──。


 私のTRPG経験のなかでも、天羅万象のキャンペーンに次いで、強い印象の残る、素晴らしいキャンペーンだった。*2ちょうど天羅万象をプレイしていた頃で、そこで学んだノウハウをGM、プレイヤー双方が生かせたというのも大きい。完全に私の自己満足に過ぎない物語を盛り上げてくれた、当時のプレイヤーたちには今でも感謝している。
 もちろん、これはクリスタニアという舞台設定が素晴らしかったというのが大前提にある。舞台設定に興味が湧かなければ、物語が気に入らなくてもスルーして終わりだろう。GMに「キャンペーンをやりたい!」と思わせたというのは、TRPGの舞台設定としては理想的だ。別の見方をすれば、クリスタニアはそんな解釈も許してくれる、懐の深い世界だったのだ。先輩にもしばしば「君はクリスタニアが好きすぎる」といってからかわれたくらいである。



 ──と、ここまで3日に渡って書き連ねれば、私が何故水野氏のクリスタニア断筆宣言に絶望したか、お分かりいただけるのではないだろうか。特に、わずかに触れられるだけで終わってしまった南クリスタニアには心残りがある。ロードスでも、リウイでもなく、私はクリスタニアにこそ未来を感じていたのだが……。今となっては、残念だ。
 コミケなどを見る限り、今でもクリスタニアをプレイしているプレイグループがごくわずかでも存在していることだけが、かすかな慰めである。

完全に余談

 当時のプレイグループの仲間が上のエントリを読んだら「あれ?」と思うかもしれない。実は、セッション中は誰にも突っ込まれなかったけれど、文章に書き起こすとキャンペーンヒロインのキャラのモチーフがはっきり分かってしまう(笑)。
 “彼女”である。



 こうして思い返すと、あの頃自分が好きだったものを片っ端から詰め込んだキャンペーンだったなぁ……。

*1:「はじまりの冒険者」の印象が特に強いのは確かかもしれない。

*2:NOVAは単発のシナリオが圧倒的に多く、キャンペーンとしてはあまりプレイしていない。