宣伝に騙されるTRPG?

 で、この記事を見てちょっと思ったのは、TRPGはどうなんだろう? ということ。
 TRPGはコンシューマゲームほど市場は大きくない。宣伝もあまりされない。そして、私は少なくとも今まで「面白そうだと思って買ってみたらつまらなかった」という経験はない。そもそもTRPGの「面白い」「つまらない」は面子による部分が大きく、ゲームそのものの問題ではないことの方が多い。

 じゃあTRPGはどれを買っても一緒か? というと、そうではない。ツールとして見た時に優れているかそうでないかという違いは厳然として存在する。
 つまり、ダメなゲームを買っても面子がよければ楽しめることは楽しめるが、それはいわば「バカゲー買ってみんなで突っ込み入れて笑う」という楽しさで、いわゆる正道な楽しさではないのだ。
 とはいえ、TRPGのルールブックは普通のゲームと違って、買ってから遊ぶ前に「ルールブックを読む」というプロセスが入る。買ったルールブックそのものは、買った瞬間に最初から最後のページまで、ユーザーが確認できる。
 ルールブックがどんなに分厚くても、一通り読み終わるまでが普通のゲームを遊び切るより長いことはないだろう。優れている、あるいはできの悪いTRPGがあったとしても、それが「ゲームを進めてみないとわからない」普通のゲームと違い、TRPGの場合は読めばすぐわかる。
 また「GMが買ってダメだったと思うルールブックを、プレイヤーが買う」という選択肢はまずありえない。通常は、GMが真っ先にルールブックを買って、次にプレイヤーが買う(あるいは同時に買う)という順番のはずだ。TRPGの基本は「コミュニティごとの口コミ」なのだ。当然発売日に売れる数は決して多くないし、ロングテールになる(どうせ、発売日当日に買ったって、その日にセッションはできないことが多いのだ)。
 宣伝にしたって、ルールブックに記述する内容を膨らませて誇大広告を書くのは至難の業だ。嘘をついて買わせたところでGMがルールブックを破りたくなるだけで、絶対にそれ以上購買層は広がっていかない。

 ダメな方で言えば「わかっててあえて地雷踏む」ことはあっても「買ってみたら実は地雷でした!」というゲームは存在しづらいわけだ。
 
 ただし、物事には何事にも例外がある、例えば「一読しただけではわかりにくい場所に致命的な誤植がある」とか。
 一番印象に残っているのは、真・女神転生TRPGの初代。誤植が多すぎてゲームにならなかった。
 「FEARのゲームだって誤植あるじゃねーか」(*1)とかそういうレベルじゃなく、「キャラクター作成ルールが3箇所に掲載されているのに全部作り方が違う」とか「チャートが半分ずつずれていてどこを参照したらいいのかさっぱりわからない」とか、ゲーム進行が不可能に近かった。

 これに匹敵する誤植は「深淵」の「行動値がなぜか10で固定」(ただし、これはルールブックに封入されていた訂正文でフォローされておりプレイに支障はない)、モンスターメーカー・リザレクションRPGの「ココロのルールブック」(*2)くらいしか思い当たらない。

 では逆に「期待しないで買ってみたら、実は予想していたよりも面白かった」ゲームはあるかと言われれば…。

 ある。
 私にとってそれは「天羅万象」というゲームだった。(続く)


(*1)FEARの場合、エラッタで誤植の訂正をしているというよりゲームバランスの再調整という意味合いが強いので、むしろ違う問題である。


(*2)モンスターメーカー・レザレクションRPGにおいては、キャラ作成時PCのレベルは1なのだが、そのまま1レベルでスタートすると「戦闘オプションを覚えているのに、戦闘中どうやってもただの攻撃しかできない」などの不都合が発生するルールになっていた。
 これに対する作者の回答は「レベル3からスタートしてください」というもの。ユーザーが「それはルールブックのどこに書かれているのですか?」と質問したところ「あなたのココロのルールブックに書いてあります」と答えたため、このゲームをさして「ココロのルールブック」と呼ぶようになった。ただし、プレイ不可能ではない。

真・女神転生TRPG覚醒篇 (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

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