心の鏡

 天羅万象のキャンペーンを続けるうちに、私たちはあることに気づいた。

 旧・業システムは、ただロールプレイを評価するだけのシステムではない。
 もらったボーナスは「気合」と呼ばれ、判定のときに振るダイスに足すことができるのだが、「気合」を使えば使うほど「業」が貯まっていき、一定の数値を越えたところでPCは「修羅」と呼ばれるNPCになってしまう。
 自分の中にあるもやもやした想いを相手にぶつけてエネルギーにすれば判定は有利になるが、そのもやもやしたものはちゃんと形にして自分の中で整理しないと、心が壊れてしまうということだ。
 ならばどうするか。「使用済みの気合」である「業」は、新しい「因縁」として形にする。つまり、PCが窮地を越えれば越えるほど、新しい性格や行動指針が増えていく。
 ならば、古い性格や行動指針はどうなるか? 人間の精神の許容量は決まっている。折り合いを付けて諦めるか、想いを成就するかして「昇華」し、消していかなくてはいけない。

 つまり、天羅万象はPCが活躍すればするほど、精神的にも成長しないといけない(能力だけを成長させたのでは修羅になってしまう)ゲームなのだ。
 そして、問題はこの「ロールプレイの評価」と「因縁の変化」に、他のプレイヤーが関わってくるという点なのだ。

 実例を挙げよう。 
 一人のプレイヤーは、金剛機と呼ばれる殺戮機械のPCをプレイした。金剛機は、戦闘能力は他のPCに比べてずば抜けて高い(大袈裟でなく、「気合」のボーナスなしならセッションメンバーのPCを2ターンで一人残らず皆殺しにできるくらい強い)。しかし、初期設定の「因縁」が「記憶喪失」と「快楽殺人狂」という極めて危険な組み合わせなのだ。
 「元々強いなら、そんな『因縁』無視してプレイすればいいんじゃ?」という指摘は、こと天羅に関しては当たっていない。GMも他のプレイヤーも「金剛機は失われた記憶に葛藤しつつ、周囲の人間を殺戮するPCだ」と思っているから、それに沿ったロールプレイを評価し、喝采する。
 そうするとプレイヤーはさらに評価してもらうために──あるいはさらに話を面白くするために、そして他のプレイヤーを楽しませるために──さらに加速する。

 結果、その金剛機は当初のシナリオの流れとはほとんど無関係にある街を滅ぼそうとし、他のPCが全員でそれを食い止め、気合を全てつぎ込んで金剛機を破壊するというシナリオになってしまった。
 もちろん、プレイヤーは当初「快楽殺人狂」に代わる別の因縁を作り、育てるつもりでいたのだが、そちらのロールプレイがあまり評価されないまま「快楽殺人狂」の因縁ばかりが評価されるため、「活躍すればするほどそのロールプレイから抜け出せない」という泥沼にはまってしまったのだ。
 シナリオは凄く盛り上がったが、どう考えてもプレイヤーが最初に目指した方向とは違う形で決着がついている。

 彼だけではない。
 別のプレイヤーはもっと酷い目に遭った。

 そのPCは若い武人で、超常的な能力をまったく持たないキャラクターだった。因縁は「故国の復興」と「両親の仇を討つ」。特に変化球を狙ったわけでもなく、比較的わかりやすくロールプレイもやりやすいキャラクターに見える。
 ところが…実際にやってみると、故国の復興のロールプレイではまったくボーナスが入らない。周囲の人間から見ると「え? それって故国の復興と関係あるの?」という、ちょっとズレたロールプレイになってしまった。逆に「両親の仇を討つ」はいかにもそれっぽく、また感情の篭ったロールプレイであったため、ボーナスが連発した。
 結果、故国の復興を望んでいたはずの若武者は、両親の仇を討つためなら手段を選ばない復讐の悪鬼と化し、いつしか故国を忘れ、殺戮者になってしまった。

 この二人だけではなく、私たちの仲間で天羅をやっていた人間は、皆程度の差はこそあれ、同じような体験をしている。
「なんで私のPCはこんなんなっちゃったのかなあ?」
という、ままならなさ。
 それは、プレイヤーが「自分のPCはこういう人間だ」と思い込んでいるその仮面を、一枚一枚はがされて真の姿を見せつけられるような、プレイヤーの心を映す鏡を突きつけられるような、そんな感覚だ。

 ここで重要なのは、因縁の変化は決して他のプレイヤーに強制されるものではないということ。自分のPCが変わり果てたとしても、それは「自分の選択の結果」であって、他者に無理強いされるものではない。

 だからこそ怖いのだ。

 実は、天羅万象は続編の「天羅万象・零」で、この旧・業システムの方向ではなく、別の方向にシステムを進化させることで万人に受け入れられやすいゲームに生まれ変わった。
 ゲームデザイナー自身がこの天羅万象を「F1カーみたいなもので、誰にでも乗りこなせるわけではなく、失敗するとクラッシュする」と評している。
 だからこの「旧・天羅万象」のシステムは、ある意味「TRPGの行きついた極北」であり、このゲームの先に行ったゲームはないとも言える。

 この「天羅万象」こそは…ルール自体はサマリーにしてしまえばA4何ページもないような、シンプルなルールではあるが、私にとっては「実際にやってみるまで、その面白さがまったくわからなかった」ゲームだった。


 さて、次回は天羅繋がりで、クロッシングポイントのレビューの第2回を。