一昨日の話の続き


 某所でまともな論考を発見。


「第17回: オンラインゲームの現在 ―拒否されるゲームジャーナリズム―」


http://www.glocom.ac.jp/j/publications/journal_archive/2006/07/17.html


ファミ通編集部にとっては「攻略記事」であり、抗議する人々にとってはそれが「オンラインゲームの自由を疎外するもの」とうつってしまった。
ファミ通の編集部はこうした反応が起こることを予想すらしていなかっただろう。

問題としたいことはファイナルファンタジーXIのプレイヤーたちの抗議活動と、ファミ通の記事のどちらが態度としてまっとうかということではない。
問題は、既存メディアであるファミ通編集部は、オンラインゲームのプレイヤーたちがこの記事を載せたら猛反発するかもしれない、
ということがわからなかったということであり、その感覚にまったくキャッチアップできていなかったのだという事実だ。

オンラインゲームのプレイヤー達の抗議は、ファミ通編集部の日常的理解の外側にあった。


 まさにその通りだと思う。そしてこの齟齬はいまだ完全に埋まっているとは言いがたい。
 

 もし、ででお氏の行動に意味があったとするなら、それは「オフラインゲームの攻略記事とオンラインゲームの攻略記事は違うのだ」ということを、身を以って証明した点にあるだろう。
 実際、これ以降に書かれた各誌の記事は、彼の犠牲(?)のもと、それまでとはまったく異なるアプローチで攻略を行っている。ファミ通はそれでも以前の体質が抜けきれていないように思えるが…。

 ファミ通編集者だってインターネットは見ているはずだし、オンラインで形作られるコミュニティがどういうことかは把握していたはずだ。であるにもかからず、このような記事を載せればどのような反応が返ってくるか理解し得なかった、そして7年経っているにも関わらず、その記事に対して適切と思われる対応ができているとは言えない。
 ライター一人の責に帰するべき話ではないと捉えれば、問題の根は、実は結構深いのかもしれない。