HTTとオリコンチャートの話、補足編

 ええっと、前にけいおん!! のOPとEDがオリコンの1位と2位になった時にエントリを書いたけど、ある人と話をしていてどうも誤解を生む表現だったと気づいたので補足しておきたい。

 J−POPの凋落、なんて表現を使ってしまったせいかもしれないけれど、私は今のJ−POPの歌手が昔に比べて下手だとか、曲が悪いというつもりはない。ネットの論調の主流はどうもこっちみたいだけど私の意見は違う。
 今の曲は魅力がないだとか、今の歌手は下手だ、というのは今の曲と昔の曲を聞き比べて初めて分かることだ。最近のCDを買わず新しい曲もダウンロードしていないのに、今のJ−POPは質が悪いという結論には達しようがない。

 私はニコマスをよく見る。すると、ニコマスのMADの中には比較的新しい曲が使われているものがあって、そこで初めて「あ、この曲いいかも」という感想を持てる。
 以前、ヘボピーナッPとベルナール・リヨ3世Pという人がギミギミズのWho Put the Bompという曲を使ってMADを作った。



 直後からAmazonのギミギミズのアルバムとこの曲のiTunesでの売り上げが爆発的に増えて、昔からのファンの人が何事かと驚いた、という出来事があった。もちろん、楽曲をMADに使うこと自体の是非はある。しかし購入者の多くは、恐らくMADを見なければギミギミズのCDを買おうとはまったく考えなかった人たちだろう。Pefumeでも似たようなことが起きている。
 つまり、曲の良し悪し以前の問題として、それに触れる機会がなければその曲を買うことはないわけだ。

 インターネットが発達して、若い購買層の主な情報源がテレビからPCに変わったことで、その価値観は極めて多様な物に変化した。かつてのようにじゃんじゃんCMを流せば物が売れるという時代ではない。
 情報を得る手段が無数にあるということは、手段がないというのとほぼ同義だ。仮にいい曲というものが存在したとして、どうやってそれを知り得るのか?

「俺はジャズのファンだからジャズの音楽番組はチェックしているし、雑誌も買っている。だから優れたバンドについてはいつもアンテナを高くして情報収集しているよ」

 という人がいたとする。それは選挙でいうところの固定票だ。そのマーケットの規模は決して広くはなく、そして数も劇的には変動しない。言い方を変えれば、そういう人たちはあらかじめ自分に入ってくる情報のチャンネルを絞っているのだ。ジャニオタ、アニオタ、ゲーオタ、アイドルオタなんて呼ばれる人たちも同じことだ。
 無数に存在する情報の中から、自分の好きなジャンルという意味であらかじめ収集する情報のチャンネルを絞り、限られた選択肢の中からいいものを探そうとするから探せるのだ。全方向にチャンネルを広げたら、とても情報を取捨選択しきれないだろう。
 かつてJ−POPを買っていたのはそういう層、つまり選挙でいう「浮動票」だったのだと思う。「私J−POP(全般)のファンです」という人の話は聞いたことがない。特定のアーティストのファンはいても、J−POP全体にまで範囲は広げることはない。

 けいおん!! のCDがオリコンのトップになったこと、そしてジャニーズのCDが普段チャートの上位を占めていること。その購買層は皆、音楽全般を聞き比べてけいおん!! やジャニーズを選んだわけではもちろんなく、ジャニーズであるから、けいおん!! の主題歌であるからという理由で曲を聞き、CDを買った人たちだ。意図的にチェックする曲のジャンルを限定的に捉えている人たちだ。その購買数がかつての隆盛に及ばないのは当たり前だ。元々のパイが狭いのである。
 私たちは、そして彼らは、自分がチェックしているジャンル以外には基本的に手を出さない。好き嫌いというより、知らないからだ。
 オリコンチャートでミリオンヒットが連発されていた頃は、違うアーティストの曲であってもCDを買う層自体は大きく変化することがなかった。それは特定のジャンルにこだわらない、浮動する層だった。
 ちょっと前に、学生がCDを買わなくなって携帯電話の通話料に金を使うようになったと騒がれたことがある。言い換えれば、一方的に与えられる情報ではなく、双方向の通信、自らアクティブに手に入れる情報に金を使うようになったとも言える。もはやかつての電通のようなブームの仕掛け人はありえないのだろう。ブームは草の根レベルから予想もつかない形で発生する。その発信を作り手自らが行おうというのがツイッターなのだろうが、その呟きが予想外の結果をもたらすリスクは常に存在する。

 果たしてツイッターはかつてのCMのようなブームの仕掛け人になれるのだろうか?