世界を救うのは誰だ


 TRPG関連のサイトを巡回していたら、こんな意見を見かけた。


「このゲームはNPCが強すぎる。ルールブックを読む限りPCなど簡単に倒せるレベルなのに、どうしてPCに事件解決を依頼してくるのかわからない。GMに聞くと運命だとか宿命だとかメタな回答しか返ってこない。PCにしてみれば運命だの宿命だの知ったことじゃない。世界を救いたければNPCが自分でやればいいのに」


 これはかつての古いリプレイに悪い影響を受けた例だ。
 PCより強いNPCが出てきてPCより活躍する、あるいはPCがNPCを雇って事件解決を任せようとする、いわゆる吟遊プレイ。これは、PCに当事者性がないせいだ。
 以前サマーウォーズのエントリでも書いたが、PCにはPCなりの、シナリオに関わる動機を用意しなければシナリオに参加する理由がない。
 シナリオの黒幕が自分のかつての親友だったら。
 さらわれたのが自分の恋人だったら。
 殺されたのが自分の父親だったら。
「強いNPCがいるんだからそっちにやらせろよ」という発想は出てこないはずだ(もっとも、本来NPCの方がPCより強いことを認識していることそのものがメタ視点なのだが)。
 かつて吟遊プレイが商業用リプレイとして売られ、大ヒットし、たくさんのプレイヤーが読んだためにこんな発想が出てくるのだろう。現に、コンベンションなどで若い世代のプレイヤーと卓を囲むと、他人に任せようなんていうリアクションそのものがまったく出てこない(だって、人の活躍を見ているだけなんて面白くないだろう!)。

 とはいえ、PCに当事者性を与えるといってもそれほど難しく考えることはない。例えばそのゲームにハンドアウトのルールがあるなら、「世界を救うのがNPCでなく、紛れもなく君でなければならない理由」がそこに記されるはずだ。
 私自身の例で言えば、ハンドアウトのルールが導入されるまではPCのモチベーションを理由にセッションが失敗したことが何度もあるが、導入してからはカオスフレアで一回頭を抱えたくらいで、それ以外に失敗したことはない。
 もちろん解決法はこれだけではない。PCの動機づけが大事だということさえ押さえておけば、方法は他にも色々あるだろう。


「藤澤さんのぺらぺらーずのリプレイは、新しい世代のGMである藤澤さんと、ベテランであるプレイヤーたちの経験の差があるためにあんな展開になるのではないか。最近のGMは決まった状況で決まった反応しかできないので、プレイヤーの発想に柔軟な対応ができない。私は“クロちゃんのTRPG千夜一夜”を見て育ってきた世代なので、ベテランプレイヤーたちの思考法に親近感を感じる」


 クロちゃんのTRPG千夜一夜を手本にするプレイヤーなんて初めて聞いたぞ!?  あれは「昔、若い頃はこんなことしてプレイヤーを困らせるGM/GMを困らせるプレイヤーがいたよね、あはは」と反面教師にして笑うための、半分ジョークなんじゃないのか!?

 GMを困らせようとか裏をかこうとするプレイヤーを捌ききれるかどうかは経験の豊富さの問題であって、世代の古い新しいはあまり関係がないと思う。
 誤解しないでいただきたいが、私は藤澤さんのリプレイを否定しているのではない。反対だ。むしろぺらぺらーずは、裏をかこう裏をかこうと手ぐすね引くプレイヤーに対する初心者GMの奮戦記として一読の価値がある。プレイヤーたちの態度を手本にしてはいけないことは、もちろん言うまでもない(とはいえ、リプレイの後半はプレイヤーとGMが協力し合ってちゃんと話を作る雰囲気があった。要はお互いの気心が知れているかどうかということ)。
 むしろ問題は、そういうGMの裏をかくプレイングを「クレバーなプレイング(笑)」といって半ば推奨していたそれより前のリプレイにあるだろう。「プレイヤーが建築学科出身だからデーモンが立て篭る砦の地下を掘って倒壊させる」だとか「GMの脳内を当てさせて正解にたどりつかないと経験値半減」なんてマスタリングがその傾向に拍車をかけたのは当然だ。 

 今挙げたのはわずかに二例。しかし、明らかにリプレイの悪い部分を参考にしたり剽窃したり、影響があちこちに見てとれる。

 リプレイが読みものとして読まれる限りは、どんな内容でも問題はない。場のコンセンサスが取れていないのに、同じことをしようとしてゴリ押しするのがまずいのだ。しかも、意識せずに模倣してしまう危険性があるのが、なおまずい。(続く)