魔女ベルンカステルの憂鬱

 前々から、知り合いに「びるとてぃるとさんは『ひぐらしのなく頃に』はやらないんですか?」と聞かれていて、自分でもうまく説明できないけど、何となく自分には合わない気がして曖昧に答えを濁していた。
 で、今度『うみねこのなく頃に』がPS3で出るというニュースを聞いてウィキペディアetcでいろいろ調べ、自分の中で感じていた違和感の正体がわかった気がした。


正解率1%の謎に挑戦せよ!


 上の煽り文句は同人版『ひぐらしのなく頃に』のパッケージに記載されていた煽り文句だ。
 正解率1%。先行発売バージョンをプレイして先の展開を予想した人たちの中で、真相に辿りついた人間はなんと1%しかいなかったという意味だ。
 推理ファンの友人たちもこの煽り文句を見てゲームを買い、どんな奇抜なトリックを使っているのか、どんな斬新な手法なのかとあれこれ想像を巡らせていた(ちなみにそのうちの一人はきっぱりと「解が出る前が一番面白かった」と感想を述べている)。


 で、明かされた真相は


・謎の物音の正体は幽霊(もちろん推理編では超常現象の存在はまったく示唆されない)


・虐殺の犯人は謎の特殊部隊(もちろん推理編では特殊部隊の存在はまったく示唆されない)


 つまり、真相を当てるために必要な情報が読者にまったく与えられていない状態だったのだ。これではむしろ真相を当てた1%の方がエスパーである。またいうまでもなく、一般的に推理物では超常現象を真相にするのはタブーであるとされる(参考:ノックスの十戒)。


 作者の竜騎士07氏は、最初から『ひぐらしのなく頃に』を本格ミステリとはうたっていない。ただ「正解率1%。だから推理して真相を当ててみろ」と煽っているだけだ。
 そう、竜騎士07氏は煽りの天才なのだ。


 『ひぐらし』をプレイして「これ推理不可能だろ!」という批判が多かったか少なかったかわからないが、それに対して次回作『うみねこ』初作の煽り文句がこれである。


うみねこのなく頃に』の推理は、可能か不可能か。


本作品は、ジャンル的には連続殺人ミステリーになるかもしれません。

しかし、だからといって推理が可能であることを保証するものではありません。


“解けるようにできている”甘口パズルをお好みの方はどうぞお引取りを。

うみねこのなく頃に』は、皆さんに“解かせる気が毛頭ない”最悪な物語です。


しかし、だからこそ挑みたくなる最悪な皆さんは、初めましてようこそ。

私も、そんな最悪な皆さんを“屈服させたくて”この物語をお届けします。


皆さんは、どんな不思議な出来事が起こっても、全て“人間とトリック”で説明し、
一切の神秘を否定する、最悪な人間至上主義者共です。

どうぞ、六軒島で起こる不可解な事件の数々を、存分に“人間とトリック”で説明してください。


皆さんが、どこまで人間至上主義を貫けるのか、それを試したいのです。


犯人は魔女。アリバイもトリックも全ては魔法。

こんなのミステリーじゃなくてファンタジー


あなたが悔し涙をぼろぼろ零しながら、そう言って降参するところが見たいのです。(公式ページより)


 これを読者を煽ると言わずして何というのかというくらいの挑発である。


 で、実は私が『ひぐらし』を詳細を知ったのはかなり後で『解』が出てからのことだったりする。なので『ひぐらし』に推理物としての面白さは最初から求めていなかった。
 『ひぐらし』を推理物として見ず、繰り返し同じ日常が繰り返される中、そこから脱出しようと足掻くループ物の作品として見ると、主人公は圭一というより古手梨花になる(実際、ゲームをプレイしていても主人公は途中でスイッチする)。


 ところが『ひぐらし』を物語として(あるいはもっといえば萌えを求めて)見ていた層も、竜騎士07氏は容赦なく煽る。それが「魔女ベルンカステル」の存在である。



ベルンカステル (Bernkastel)
声:田村ゆかり
千年を生きたカケラの魔女にして奇跡の魔女。(中略)かつて“ニンゲン”だった頃、ラムダデルタの手による過酷な運命に囚われ弄ばれた経験を持つ。ラムダデルタ曰く、当時の主のミスも手伝って長い間過酷な運命を彷徨うことになり、その結果心が壊れて今の残酷な魔女になったらしい。その運命を強いた、当時のベルンカステルの主はフェザリーヌと思しき描写がある。ベアトリーチェを「ベアト」、ラムダデルタ「ラムダ」と愛称で呼ぶ。
名前が前作『ひぐらしのなく頃に』冒頭の謎の詩の執筆者「Frederica Bernkastel(フレデリカ・ベルンカステル)」と同一だが、両者の関係は語られていないため不明。外見は『ひぐらしのなく頃に』のメインキャラクター・古手梨花に酷似しており、アニメ版での声優も同じ。また、「千年を生きたカケラの魔女」についても、百年以上惨劇の世界(カケラの世界)をループし続けた梨花と類似しており、賽殺し編梨花は自らを「ベルンカステルの魔女」と称している。
好きなものはワインと辛い物で、嫌いなものは退屈と学ばない者。強い魔力を持つがそれと引き換えに「心が割れて」しまったらしく、人間らしい温かい感情をほとんど失っている。自身を「世界で一番残酷な魔女」と表現しており、家族の帰還を願う縁寿を駒として利用したり、ベアトリーチェを「私たち(ベルンカステルとラムダデルタ)のお人形」と称し、特に人に不幸な結末を与えて歪む表情を嘲笑するなど、己の勝利や退屈を紛らわすためには手段を選ばない残酷な一面が出ることもある。
(後略)
ウィキペディアより)


 プレイヤー、読者、視聴者が感情移入している登場人物、しかも人気キャラである梨花(彼女は最萌えトーナメントで優勝した経験がある)を、最初プレイヤーの味方であるかのように登場させながら途中から邪悪な本性を剥き出しにさせる、という展開も、竜騎士07氏お得意の煽りの一つなのだ。「腹が立つでしょう? 先が気になるでしょう?」という声が文章の間から聞こえてくるようだ。『ひぐらし』で梨花と深いつながりのある「羽入」と関連のあると思われる『フェザリーヌ・アウグストゥス・アウローラ』(あうあう、つまり羽入)をすら、ベルンカステルは憎悪しているらしい。なお、魔女ラムダデルタとは『ひぐらし』の『鷹野三十四』のことである(ΛΔ=34)。


 最初に戻ると、私はこの竜騎士07氏の煽りが「肌に合わない」のだろうと思う。そんなのお前の好みの問題じゃねーかと言われればそのとおりだ。
 しかし、『ひぐらし』の物語そのものを楽しませたいなら、正解率1%などという文句は必要ない。『うみねこ』の物語を語りたいなら、ベルンカステル梨花とはまったく違うキャラクターとして造形すればいい。フェザリーヌも、ラムダデルタもだ。
 先の煽り文句を読んで「なにくそ、負けてたまるか」と挑発に乗るというのも作品の楽しみ方の一つとして存在するとは思う。しかし私はそれでは楽しめないタイプなのだ。


 TRPGに例えるなら、GMはどんな無茶でもできるのは当たり前だ。しかし、どんな無茶で強引なシナリオにもプレイヤーが付き合う義務があるわけではない。宣戦布告されたところで受ける義理はないのだ。席を立って別のGMを探すという手段だってある。私はGMと戦争をするためにゲームをしたいわけではない。


 魔女ベルンカステルについては、この先の物語でまた異なる真相が用意され、もう一幕あるだろうと予想する人もいる。恐らくそうなのだろう。しかし私が受け付けないのはベルンカステルの設定ではなく、竜騎士07氏の手法そのものだ。なので恐らく、私は今後も『うみねこ』に触れることはないだろうと思う。


 ただ、一つだけ評価しているのは楽曲の良さだ。『ひぐらし』『うみねこ』ともに、歌を含めた楽曲は素晴らしい。そこだけは私も高く評価している。


うみねこのなく頃に ~魔女と推理の輪舞曲~ - PS3