私にとってこのリプレイは、SNEのリプレイとしては秋田さんや藤澤さんの最初のリプレイ以来の大ヒットである。
商品としてのリプレイを見ると、SNEでいえば秋田さんや藤澤さんのリプレイ、FEARのリプレイでいえば初期の藤井さんや最近でいうと力丸さんや若林さんのように、事務員だったり声優だったり、TRPGをプレイしたことがない初心者、あるいはしばらく離れていたプレイヤーを熟練プレイヤーの間に混ぜてセッションメンバーにするというのは一般的な手法の一つだ。
これはもちろん、読者目線のプレイヤーがいるとチュートリアルがやりやすいというのもあるが、何より「熟練のTRPGプレイヤーとは異なる価値観」との邂逅によって、プレイが良くも悪くも予想外の方向に転がるというメリットがあるからだ。
そして、この「蛮族英雄」はこれまでのセオリーである「初心者と熟練者」という対比ではなく、別の価値観の対比を売りにしている。
それはアメリカ的TRPGの価値観と、日本的TRPGの価値観の対比だ。
「蛮族英雄」の筆者はベーテ・有理・黒崎氏という、アメリカ人と日本人のハーフの人だそうだ(実在の人物・・・のはずだ。これが架空の人物だったら別の意味で驚く)。彼は日本語が(TRPGが日本語でできる程度に)堪能なのだが、プレイスタイルは極めてアメリカ的TRPGのそれに近い。
そんな人物がGMを務めているが、プレイヤーは全員SW2.0の標準的な「日本のTRPGに慣れたプレイヤー」である。彼らが邂逅してセッションしたらどうなるか? という結果がここにある。
(以下ネタバレ)
最初は「ベーテ氏をプレイヤーにして、日本人がリプレイを書いた方がよかったのでは」と思ったが、読み進めてこれが極めて正しい判断だったことがわかった。
ベーテ氏はプレイスタイルはアメリカ式そのものなのだが、自分のプレイスタイルを客観視する能力に長けており、アメリカ式のやり方が日本人からどう見られるものなのか、自分のプレイスタイルがどのように日本的なそれと違うのかを的確に把握している。で、ありながら、彼はアメリカ式のやり方を貫くのだ(笑)。これはわざとやってるというより、もう染み付いているのだろうと思うのだが、日本的なやり方をそっくり踏襲するのでは普通のリプレイなわけで、このリプレイの面白いところは、GMの「わかっちゃいるけど、やめられない」ところだ。
裏表紙の文句からしても
「モンスターの数はダイスで決めよう、20面を振って……18体だネ」
「まてっ! 多すぎるわ!」
……信じられないかもしれないが、彼らは本当にこんな感じだ。嘘だと思う方は、妄言銃さんの抱腹絶倒のお勧めプレイレポ「ラッパンアスクの思い出」を是非お読みいただきたい。心の底から「ヤツらはマジキチ」という言葉が浮かぶだろう。(*1)
勘違いしないでいただきたいが「そこが面白い」のである。
実はこの時、俺は内心少し困っていた。キャラクターの設定を作り込み、それに陶酔するプレイスタイル──それは、アメリカでも見られるものだ。
だが俺は、どちらかというとそのタイプのプレイヤーが苦手だ!
だってあいつら、どんなNPC出しても「わたしのキャラクターには相応しくない相手だ」と言って無視するし、どんなシナリオだって「わたしのキャラクターはそんなことに興味はない」と言ってゲーム進めてくれないし!
GM (マ、マズイ……仕事とはいえ。この手のわがままなプレイヤーとこの先一緒にゲームしなければならないのか……!?)
アンセルム ……という設定でいこうと思うんだが、大丈夫か?
GM え?
アンセルム GMの考えてるシナリオから逸脱してたんじゃ、意味ねぇからな。
GM は、話聞いてくれるの……?
アンセルム は? GMの話聞かないでどうやってゲームするんだよ。
「話聞いてくれるの?」で壮絶にお茶吹いた。
自己満足だけで本当に満足するプレイヤーが、アメリカにはいるんだ。
主に吸血鬼ものとかやってる連中だが。
そしてこの後にも……。
アメリカの女性プレイヤーには好んで娼婦とか元娼婦とかのキャラクターを遊ぶ人たちがいるのだ。
主に吸血鬼ものとかやってる連中だが。
いくらなんでもヴァ○パ○ア・ザ・マ○カ○イドディスりすぎだ(笑)。
ベーテ氏はアメリカ人のプレイスタイルを「キャラクターに自己陶酔するタイプ」か「ひたすら強さを追い求めるタイプ」の二つに分け、「どちらにしてもGMが投げかけてくる状況で自分がやりたいことを徹底的に追求するのがアメリカンスタイル」であり、日本人の物語は「双方のいいところをミックスした、物語を意識したプレイスタイルだ」と評価している。
日本人としては面映く光栄な評価だが、私はアメリカ人のプレイスタイルにもいいところがあると思っている。それはいい意味での鷹揚さであり、ハチャメチャさだ。このリプレイはそれがよく出ている。それは読めばわかる。もちろん、物語として破綻していないからこそリプレイとして読めるのであり、そこは執筆者であるベーテ氏の力量なのだが。
そういう意味では、これはSW2.0だからこそできるリプレイであるといえるかもしれない。FEARのゲームは物語生成に最適化されており、いわゆる羽目を外したプレイングがやりにくい印象がある。言い方を変えると、どんな人間がプレイしても物語が作れるようになっているため、今回の例でいえばベーテ氏のプレイスタイルのアメリカ的な部分が消えてしまうのではないかという気がするのだ。
演出としてわざと不利な判定を受け入れたり、物語を優先して設定を書き変えてしまうプレイヤーの行動に戸惑いつつもGMがシナリオを進める姿は実に面白い。
ちなみに私が一番爆笑したやり取りはコレ。
クリフ お願いですから六面体以外使わないでください! SWは昔から六面体ダイス2つと筆記用具、そしてルールブックさえあれば遊べるのが売りなんですから!
GM いやあ、でもダイスは色々使う方が楽しくない?
アンゼルム てめえ清松さんに殺されてえのか!?(一同爆笑!)
紅茶返せ(笑)。
この笑いそのものが極めてアメリカ的だと私は思う……書けないだろ、普通!(笑)
(*1)ラッパンアスクのシナリオモジュールには「どれだけPCを殺してもいい」という殺人許可証が封入されている。