“感想会”はやってはいけない?

 さて、前回の続きである。今回はロール&ロールの初心者向けGM講座「感想会をしよう!」についてだ。


 結論から言ってしまえば、私は感想会をするのは“基本的に”反対である。感想会を反省会と言い換えれば、なんとなく理由はお分かりいただけるかもしれない。
 昔は「セッションが終わったら、参加者で改善すべき点を出し合って次のセッションに生かす」ための「反省会」をするのが、一つの風潮だった(全てのセッショングループでやっていたとは言わない)。しかし、反省するということはそのセッションの悪い点を挙げ、他の参加者(特にGM)を糾弾する、攻撃することに他ならない。はっきり言って、反省会をされて気分のいいGMはまずいない。また、プレイヤーにとっても、自分のプレイスタイルを他人に攻撃されて楽しいはずがない。TRPGは仕事ではない、趣味なのだ。
 イメージの掴めない方は、小学校の「帰りの会」とか「学級会」を想像してもらうとわかりやすい。「せんせー、○○くんが××してました、いけないと思います」……TRPGでこれをやろうというのだ。糾弾される方が楽しい気分になるはずがない。
 そもそも、なぜ「反省会」をする必要があるかといえば、セッションがうまくいかないから──つまり、参加者同士の意思疎通に問題があるからだ。しかし、その齟齬は、相手を責め立てても埋まることはほとんどない。
 忘れてはいけないことは、コンピュータゲームのメーカーやMMORPGの運営と違い、TRPGの参加者は「金銭をもらい、あなたを楽しませる」ためにそこにいるわけではなく「自分が楽しむ」ためにそこにいるのだ、ということである。自分が楽しむためにやってんだから、何やってもいいじゃないか──ということでは、ない。他の参加者もまた「自分が楽しむため」にそこにいるのだ。


 TRPGはよくボードゲームに例えられる。しかし普通のボードゲームやカードゲーム、将棋や囲碁などのテーブルゲームとTRPGの一番の違いは、TRPGがゼロサムゲームではないことだ。双方が勝つことがあり得るし、、双方が負けることもあり得る。TRPGに勝ち負けはないという人がいるがそれはウソだ。TRPGには勝ち負けがある、楽しんだ者が勝ちなのだ。楽しめない人がいたのなら、それは負けだ。


 感想会と反省会は違う、と筆者は言いたいかもしれない。コラムには「突っ込みすぎてはいけない、基本は楽しく」と書いてあるだろう、と。
 しかし水は低きに流れる。“感想会”は容易に反省会に転じる。なぜなら、セッションが楽しくなかったら、あるいは少しでも気に入らない点があったら、その責任は他者に負わせるのが一番簡単だからだ。ましてコラム中にあるように「敵、ちょっと強すぎたかな?」「あそこの選択は正しかったのかな?」(*1)などと質問したら……前者への返答はダメ出しになりがちだし、後者はその指摘がダメ出しそのものだ。こうなると、楽しかった点があっても、同席している参加者たちの頭にはダメだった点しか浮かばなくなる。これは非常に危険である。せっかく面白かったセッションすらつまらないセッションに変わってしまうからだ。そんなことになるぐらいなら感想会などやらない方がましである。(*2)(*3)


 しかし、シナリオが終わった後、一切感想を言ってはいけないということではない。“感想会”をもしどうしてもやりたいのなら、絶対に護るべき鉄則がある。
 それは「相手を褒める」ということだ。そのシナリオのどこが面白かったか、どこが楽しかったかを述べるようにするのだ。褒められて悪い気分になる人は滅多にいない。
 もしあなたがそのセッションに参加して褒めるべき点は一点もなかった、面白いと思ったところは一つもなかった、と感じたのなら、あなたは絶対に感想会に参加すべきではない。逆に、楽しくて楽しくて仕方がなかった、この気持ちを誰かと語り合いたい! というのなら、あなたは感想会に参加するべきだ。
 つまらなかった、面白くなかった、駄目だった点をあげつらうのは簡単だ。誰でもできる。逆に面白かったところを挙げるのは難しい。つまらない本の文句を言うのと夏休みの読書感想文を書くのとどちらが簡単か考えれば明白だ。嘘をつくことなく面白かったところを挙げるには観察力が必要だ。それを鍛えることは、自分のTRPGのテクニックを磨くことにもつながる。
 私が今までに出会った人の中で「このプレイヤー/GMは上手い!」と感じた人は一人残らず、セッションを楽しむ達人、他人を褒める達人だった。反対に他人の悪口を並べ立てるプレイヤーで上手いと思った人はただの一人も存在しない。


 かつて私のセッショングループに、反省会の大好きな人がいた。セッション中は寡黙であまり喋らないのだが、反省会になると水を得た魚のように喋りまくる。私も幾度となく矢面に立たされた。また友人の一人は二回の反省会を経た後二度とGMをやることはなかった(念のために断っておくがその場に同席していた時点で私も同罪だ)。後で聞いたところ、他の参加者はいかに雰囲気を和やかにするかに腐心していたそうだ。こうなってしまってはなんのためにゲームをするのかわからない。
 逆に、知り合いのNさんとKさんというプレイヤーは、どんなゲームをやっても、たいていどんな面子でも心底楽しそうに遊ぶ。酷い目に遭うときも調子に乗るときもだ。GMが「今回のシナリオは失敗した! あそこをああしていれば……」と後悔するようなことがあっても、「あそこの○○が××だったのは超面白かったです!」戦闘バランスを間違え、敵が弱すぎたーと頭を抱えていても「今日のシナリオはオレツエー! ができて最高でした!」と満面の笑みを浮かべて言う。そう言われると言われた側としては次もまた頑張ろう! という気になる。また自分自身が気づいていなかった視点からセッションの感想を述べられ「そういう楽しみ方もあるのか」と再認識する場合もある。一度卓を囲むと「是非また遊びたい!」と思わせる二人なのだ。


 両者の違いは明白だ。昨日のエントリでも書いたとおり、相違点の根底は「相手を認めるか否か」という点にある。反省会は相手を否定することであり、感想会を反省会にしないためには「絶対に相手を糾弾してはいけない」のだ。相手がプレイヤーであろうとGMであろうとだ。これがまず一行目に書かれていない限り、感想会とやらはやるべきではない。
 
 
 最後に、私が尊敬するゲームライターの一人、中村やにおさんのエントリをご紹介しよう。


TRPGサークルの先輩になるあなたに


 このエントリには、ホントためになることしか書かれていないのだが、特に今回ご紹介したいのはここだ。


・助言は少なく適切に、褒めることは何よりのアドバイス


 TRPGにおいて、良い先輩は、褒めることが上手いです。相手の良い部分を見つけ、それを伸ばすために上手く褒めることのできる人間こそ、教え上手だと言っていいです。


 褒める場合もポイントは絞っていいのですが、改善点を出す場合に比べれば、ポイントを絞る必要性は非常に低いです。なぜなら、褒められた部分のほうが、相手は忘れにくく、認識しやすいからです。


 いくつかの学校サークルで、多くの後輩に慕われている先輩を見てきましたが、彼らは例外なく、褒めることが上手です。慕われ、信頼されることは、セッションが成功するために、非常によいことですから、そういった良い先輩は、良いセッションを生みます。逆にセッション中、あるいはセッション後に“反省会”と称して後輩の未熟さをあげつらうことは、実のところ、よりよいセッションにはほとんど役に立たない、どころかネガティブに作用することが多いです。 


 もうひとつ、うまく褒めるためのテクニックを紹介しておきます。


 うまく褒めるためには、まずあなたが楽しむことです。セッションを楽しみ、それを表明することで、その楽しさは卓内で共有され、セッション全体に有益に働くからです。


(*1)ちなみにGMからプレイヤーに対して「あそこの選択は正しかったのかな?」という質問をするのは最悪である。プレイヤーにとってはアクト中にPCがした選択こそが最善であり、唯一の選択だ。シナリオが終わってからそれが正しかったかどうか論じることにはほとんど意味がない。


(*2)だいたい、わざわざ感想会などやらなくても、終わってから一緒に食事でもすれば当然その日のセッションの話になるだろう。その程度でいいのだ。肩肘張って「今日のセッションの悪かったところを改善しないと!」などと考えるとろくな結果にならない。


(*3)例外が一つだけある。その日のセッションが別の日にやるセッションのテストプレイである場合だ。その場合だけは各プレイヤーに忌憚のない意見を求めた方がよい。