“若き雌獅子”(LittleLionHeart)ジークルーネ

      アクア(格闘家)/アダマス(騎士)/アングルス(無垢なる人)

 武者修行のため放浪の旅に出ている貴族の息子(PC①)のお目付け役という設定のPC②。PC①とは乳姉弟で、お節介焼きの小言好き、正義感が強いという性格だった。何かにつけては口癖のように「ああ、嘆かわしい。お館様が聞いたら何と思われるやら」とか言ってPC①を説教し「うるさいなぁ、ジークは」「わかってるよ、ジーク」と、漫才を繰り広げるというキャストだったのだが……。

 旅の途中、ある村を訪れたキャストたちは、領主に「狩りに出かけるのだが一緒に来ないか」と誘われる。同行してみると領主が村人を追い掛け回し次々に斬りつけている。これが彼の言う狩りであり、要するにこいつが殺戮者というわけ。当然村人は逃げ出すが、領主は∴紋章∴の奇跡(エンブレム・シーンに登場している聖痕を持たないすべてのキャラクターを同意の有無にかかわらず命令に従わせる)を使用し、領民を逃げられなくしてから殺戮を続けた(逃げようとする相手に催眠術をかけて動けなくしてから斬殺するるろ剣の鵜堂刃衛みたいな感じね)。
 ジークルーネは正義感が強いという設定だったのでこれに憤激し、∴紋章∴を∴天真∴(イノセンス/すべての奇跡の効果を一つ無効化する)で打ち消し、領民に逃げるように促した……のだけど、今一つGMの反応が鈍い。領民は元通り逃げ出せるようになったものの、追い掛け回されて斬られるという状況が変化しなかった。
 脳裏を嫌な予感が過ぎる。NOVAやブレカナをプレイしたことのある人なら一度ならず感じたことがあるはずの「コレジャナイ感」。奇跡/神業を使用したにも関わらず演出がほとんど変化しなかったということは、そこはGMが想定していた「奇跡を使うべき場面」ではなかったということだ。

 案の定、その後の殺戮者との戦闘において、∴天真∴の数が足りなくなり、敵の∴死神の手∴(デスズハンド・ダメージ+10D10)を防げなくなった。ジークルーネは他人への攻撃を自分で受ける「防護」という特技を持っており、GMから「これから殺戮者はPC①に向かって∴死神の手∴を使う。防護しなければPC①が死に、すれば君が死ぬけど、どうする?」と宣告され、自分の命より騎士としての矜持を選んで一刀両断された──という経緯である。

 自分で書いてて思ったけど、不意を衝かれて殺されたわけではないからマミさんというより杏子かこれ。


 ちなみに、ずっと後になってからこのセッションの思い出話になり、GMだった友人と話をしたところ
「自分で自分の身を守ることができない人間は死んで当たり前。だからそれを助けるために∴天真∴を使う必要はなかった」と言われて二度びっくりした記憶がある。確かにセッション当時も、人々を殺戮するシーンでGMに「これは殺戮者の“悪徳”(*1)ですよね?」と確認したら「違います」と断言されたんだった。


 価値観というのは人によって違うものなのだなあとしみじみ思った次第である。


(*1)殺戮者が闇の鎖の誘惑に負け、倫理に外れた行為を(PCである聖痕者たちに見せつけるように)行うこと。この行為を以ってPCたちは相手を殺戮者と認識するので、できればGMとしては演出した方が望ましいシーン。