さて、昨日まででほぼ言いたいことは言い終わったのだけれど、最後に一つだけ付け加えておこう。
TRPGにおいて、アトリトゥトリのような「俺の作ったNPC最強ーー!」をやるのは一番やってはならない禁じ手の一つである。
実は、TRPG界でこの手のシナリオを得意とする有名な先人、いや反面教師が存在する。
そう、水野良氏だ。
彼が商業リプレイとして上梓したロードス島戦記及びクリスタニアの全てのキャンペーンのうち、シナリオ中に登場する最大の障害、最大の障壁をPC自らが排除する展開になるリプレイは、なんと一つ*1しかない。また、黄金伝説・封印伝説クリスタニアはキャンペーン最大の障害(というより「謎」)は敵ではないので除外されるとしても、その他のキャンペーンにおいては全て「最後の敵はNPCが倒すもの」であった。そのため、キャンペーンの最終盤においてPCがNPCの活躍をただ見ているだけのシーンがほぼ毎回登場する。*2
これだけで済めばよかったのだが、彼のリプレイが著名になってしまったために、コンベンションなどで「シナリオにおいてNPCが活躍し、PCはそれを見ているだけ」というプレイスタイルまで出てきてしまった。*3
強力なNPCが活躍して敵をなぎ倒すプレイの登場は、PCの当事者性を失わせるという副作用をもたらした。つまり「NPCが強いなら最初からPCがシナリオを解決する必要などないのでは?」という問題だ。個人攻撃になってしまうので挙げないが「このゲームではなぜNPCがPCにシナリオの解決を依頼するのかわからない」という疑問を感じるプレイヤーは少なからずいるようである。
前にも書いたかも知れないが、FEARのゲームなどの場合、ハンドアウトなどによって「このシナリオを解決できるのはPCだけしかいない」という事情がGMから提示されることが多い。例えば自分以上の銃の名手が世界のどこかにいたとしても、殺されたのが自分の恋人だったなら復讐は自分で果たそうとしてもおかしくない。
シナリオを解決するのが「どこかの誰か」であってはならない。それは、TRPGにおいてはもう10年も前から言われていることだ。解決できるのはPCしかいない。だからPCが戦う。それが筋だ。
これは裏を返すなら、PCを遥かに超える力量を持つ「味方NPC」を登場させるなら、そのNPCが危機において「積極的に動かない/動けない」合理的な理由を用意するか、PCに強い当事者性を持たせるか、どちらかしかないということを意味する。
その傍観は許されるか?
本題に戻ろう。
FF11の場合、プロマシアミッションとアトルガンミッション、アルタナミッションにはそれぞれ「PCがプリッシュ/アフマウ/リリゼットの友人だから」という当事者性が存在する。しかし、無印ミッションとジラートミッションは違う。
アトリトゥトリはマートとデーゲンハルトの師匠である。マートとジュノ大公カムラナートとの関係は、レベルを71以上にしたプレイヤーなら必ず知っているはずだ。ならばなぜ、お膝元であるジュノを揺るがす騒動の際にアトリトゥトリは微塵も動かなかったのか。シナリオを制作したスタッフは、この疑問に合理的な答えが用意できるだろうか?
今のところ、私の答えはこうだ。
「アトリトゥトリは偉そうなことを言っているが、ジュノの命運もヴァナディールの行く末もどうでもいいクソ野郎だから」だ。現在提示されている情報からは、これ以外の答えは用意できない。世界の未来を案じているだけ、シャントットの方がまだましな人物である。
シナリオスタッフはアトリトゥトリを魅力的なNPCに描きたいのかもしれないが、現在のところそれには完全に失敗している。理由は一つだ。
この台詞が端的に示している。アトリトゥトリは「FF11のストーリーはプレイヤーを楽しませるために存在する」という基本的な原則に、疑問を生じさせる存在だ。主役はアトリトゥトリではない。我々なのだから。
TRPGのGMは、プレイヤーの反応を目の前で見る。酷いマスタリングをすればその反応はすぐに返ってくる。それでもなお、身勝手なGMは今でもおり、某掲示板にはそういった報告が後を絶たない。
MMORPGの制作スタッフは、プレイヤーの反応を目の前で見ることはほとんどないはずだ。だからこんなシナリオもある意味許されてしまう。繰り返しになるが、もしこれがTRPGだったら10年も前に禁じ手とされるプレイスタイルである。
設定担当が他社に移籍してしまうようなゲームで、設定の整合性を求めること自体が間違っているのかもしれない。しかし、対価を受け取るわけではないTRPGのGMですら努力しているのだ。スクウェアエニックスは月額の利用料金を徴収しているのだから、支払った額に見合うだけの娯楽を要求するのは理不尽ではないはずだ。
FF11について、このブログで辛口に長文を述べることはこれが始めてだ。そして、願わくば最後であることを祈っている。