誰がために戦う冒険者

 さて、ZEO絡みで辛辣なことを書いてしまったが、逆に私が高く評価している作品もある。これだ。


世界樹の迷宮2~六花の少女 上巻 (IDコミックス REXコミックス)

世界樹の迷宮2~六花の少女 上巻 (IDコミックス REXコミックス)


 この作品において、主人公であるガンナーの少女マナリィは「世界樹の迷宮に出没する、とある魔獣を倒す」という個人的な理由を持っている。他の冒険者たちも、作品冒頭にあるように報奨が目当てだったり貴重な物品が目当てだったり謎を解くことが目的だったりと個々の目的はバラバラだ。
 しかし、世界樹の迷宮に挑み、これを踏破するという目的は共通している。だから1巻冒頭から2巻終盤に至るまで「考え方は違っても、互いに協力し合う他のパーティの冒険者」の姿が描かれる。ZEOにおいて他のパーティの冒険者が、主人公をからかい返り討ちに遭うという、主人公やその仲間の引き立て役にしかなっていないのとはまさに対照的だ。「六花の少女」の世界においては、誰かが志半ばにして倒れれば、誰かがその遺志を継ぎ、新たなパーティを編成して先に進まなければならない。仲間を後ろから襲って装備を剥ぎ取るような冒険者と、誰がパーティを組みたがるだろうか?
 世界樹の世界は過酷だ。マナリィの命の恩人は魔獣に惨殺されている。パーティメンバー、カースメイカー・レインの前のパーティメンバーは全員殺され、一人だけが生き残った。だからこそ人間同士は考え方や立場の違いを乗り越え、一時的にであったとしても手を組む。全ては迷宮の先へと進むためだ。それでも最後の終着点まで辿りつくのはたった1パーティしかない。六花の少女はウィザードリィ作品ではないが、これこそがウィザードリィらしさだと、私は思う。