ジレンマはジレンマではない

TRPGの古典的命題『ゴブリンのジレンマ』


 これってジレンマに感じるプレイヤー多いんだなぁ……正直、意外だ。


 TRPGでは有名な「デルヴァ砦」の話についてはまた改めて書くけど、ここで挙げられているゴブリンのジレンマについては、はっきり言って私はジレンマとは思っていない。自分のPCをロールプレイする絶好のチャンスだと思うからだ。
 そう思いつつ先を読み進めていったのだが、どうも基本的な認識にズレがあるような気がした。ここで話し合っている人たちは、PCが「正解」を選ぶことを前提に議論を進めている。山本氏もそれを前提としたコメントをしているように見える。だが、私はその必要性を感じない。
 見逃したゴブリンが後になって悪事を働いた? 命乞いするゴブリンを殺したら後味が悪い? それはそれで、一つのドラマだ。PCは悩んでもいいがプレイヤーが悩む必要は全然ないだろう。


 だから、私の答えは「どうするかはPCによって違う」という答えになる。手持ちのPCを眺めてみても予想される反応はバラバラだ。こいつなら見逃すだろうというPC(キーがフェイトだったりアライメントがローフル・グッドだったり)もいるし、こいつなら迷いなく殺すだろう(傭兵という設定のキャラとか)というPCもいる。というか、逆にいえばこの状況でどう対応するか、というのはキャラ作成の段階で真っ先に考えそうな部分──お人好しか、リアリストか──なので、実際プレイヤーが対応に迷うことは全くないと思う。
 その上で、PCが全員同じ考えだとドラマにならないので、他の面子に歴戦のプロっ面をしたPCが揃っていればお人よしをやるだろうし、お人よしや初心者が揃っていればリアリストをやるだろう(私の鳥取での役回りはどちらかと言えば前者が多い)。で、実際そういう状況に遭遇したら、見逃すか殺すかで他のPCと対立し、議論し、結論を出す。そこに何の問題が? もちろん、プレイヤーとしては全く対立しない。上記の通り、プレイヤーとしてはどちらを選んでもシナリオ上は問題がない──逆にどちらかを選んだことを理由に致命的な罠に嵌めてくるようなGMがいるとしたらそちらに問題がある──と考えているからだ。


 ただ、もしコンベンションなどで卓内のコンセンサスが取れず、PCとしてでなくプレイヤーとして正しいと思う結論を出せ、という話になったら、ゴブリンが犠牲者を出しているなら命乞いしても殺していい、と答えるだろう。もちろん犠牲者たちも命乞いしたのだろうから。ただし、セッションにおいて「プレイヤーとしてどちらが正しいと思うか聞く」なんてのは、その時点でおかしいとは思うが。