- 作者: アークライト
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2014/04/15
- メディア: 単行本
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さて、こちらはもう一つの「なかった扱い」の話。
戦槌傭兵団のツッコミどころも少なく、今月はちと寂しいな、と思ってたら別のページにとんでもない記事が掲載されててリアルに飲んでいたものを噴き出してしまった。
シャドウラン 20th Anniversary Edition (Role & Roll RPG)
- 作者: ロブボイル,朱鷺田祐介,シャドウランナーズ
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2012/09/07
- メディア: 単行本
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「シャドウランってどんなゲーム?」と題したシャドウランのFAQが掲載されてたんだけど、2ページなのにツッコミどころ満載。
Q.依頼人の情報の裏取りをしないと死ぬようなゲームなんでしょ?
A.そんなことはありません。「シャドウラン」が死んだキャラクターの数を数えるゲームだ、などというのは悪質なデマです。耳を貸してはいけません。(以下略)
ギャハハハハハハハハハ!(笑)
ちなみに、この記事を書いてるのは、確か「ロールプレイに報酬を与えるタイプのゲームがうまく行かない理由を脳医学的に証明できる」とか言ってたライターで、監修はシャドウランのニフティフォーラムの管理人その人ですよ! 今まで115冊のロールアンドロールを読んできて、一番爆笑したぞ畜生(笑)。
いやー、完全に「なかった扱い」ですなあ。すごいすごい。トカゲの尻尾どころか胴体ごとバッサリですよ。
なんか、トワイライトガンスモークを読んで(あるいは噂を聞いて)慌ててこの記事を書いたんじゃないかー? とか思ってしまうのはきっと私が下衆野郎だからだろう、うん。
ただ、こんなフォローっぽいことを書きながら、他のFAQの端々から昔と変わらない精神性が見え隠れしてしまうのがご愛嬌。例えば上のFAQの続きはこう。
「シャドウラン」では、PCもNPCも「血の通った人間」として振る舞うことが期待されています。依頼人が何かを隠しているなら、それは「プレイヤーを困らせるため」ではなく、その依頼人にとってどうしても知られたくない何かがあるから隠しているのです。
ぶっちゃけ、これじゃフォローになってない。上の文章を続けてしまったら、裏を返せば「どうしても知られたくない何かがある依頼人がいて」「プレイヤーを困らせるためでなければ」、GMは“プレイヤーに対して”ゲームの進行に齟齬をきたすような隠し事をしてもいい、っていう結論になっちゃうんだから。
そうじゃなくて「隠し事をするのはPCに対してであってプレイヤーに対してではない」って書かなきゃ意味がないのだ。
(略)確かに、「シャドウラン」にはあなたのキャラクターの活躍を確実に保証するルールはありません。その代わり、プレイヤーの努力が最大限に報われるゲームである、とも言えます(ま、何ごともやり過ぎはよくないですが)。
「シャドウラン」には、新しい戦術を考えたり、その対抗策を演じたり、試行錯誤をして愉しむスペースがいっぱいあります。(略)
「システムが古くさくないか」という質問への答えがこれ。
どうやらこのライターにとっては、「キャラクターの活躍を確実に保証するルールがあること」と「プレイヤーの努力が報われること」は両立し得ない要素のようだ。もちろん普通のマスターなら、キャラクターの活躍を保証するルールがあったってプレイヤーの努力に報いることはいくらでもできる。古くさいのはシステムじゃなくてそういう考え方のほうだと思うんだけど。
後段も同じ。「キャラクターの活躍を確実に保証するゲーム」、多分質問から考えると「新しいゲーム」のことだと思うんだけど、あたかもそれらのゲームでは新しい戦術を考えたり対抗策を演じたり、試行錯誤して愉しむ要素がない(あるいは少ない)かのように書かれている。それは全然、対立する要素じゃないから。
そもそも、なんでプレイヤーが「自分のキャラクターを活躍させる」ために「努力」しなきゃいけないのか。実際にセッションをやることを考えたら「努力しなければ自分のキャラクターが活躍できない」ゲームと「特段力を尽くさなくても自分のキャラクターが活躍できる」ゲームがあるなら、後者を選ぶのが普通だ。
「ゲーム」は「ゲーム」。趣味であって、勉強や仕事じゃない。
もちろん、セッション成功のために努力することは間違っていない。GMのセッション進行に協力したり、自分以外のプレイヤーが活躍しているかどうか、あるいは状況を把握できているかどうかに心を配ったり、セッション中に努力が必要とされることはいくつもある。この上「自分のキャラクターを活躍させる」ために、さらに努力を重ねる必要があるのか? という話だ。
誤解のないように付け加えておくけど、別にシャドウランがダメなゲームだと言ってるわけではない。エッジさえあれば「死」すら覆し、クリティカルも買うことができるゲームのことを「自分のPCを活躍させるためには努力しないと報われないゲーム」であるかのように紹介するのは変じゃないか? と思うだけだ。それはゲームの特徴ではなくて、単にライターの個人的なマスタリングの傾向を示しているに過ぎない。