このあたりでも突っ込まれているが──
SFに登場する、未来なのに今や時代遅れな世界12選 |コタク・ジャパン http://t.co/2llHZDV1dg 執筆者が分かってなさそうなのは「観客が見て分からない小道具を出したらその説明で映画が終わる」と言う事。SFはシミュレーションではなく「現在」を反映した思考実験。
— 田川滋 (@kakitama) 2014年10月22日
現代人の目線で昔の人をまるっきり見下してる記事だけど、前にサイバーパンクの記事でも書いたとおり、ことSFというジャンルでいえば、その当時の情勢から想像力を働かせて50年後、100年後、200年後を想像/創造して作品が書けていた分だけ、70〜80年代の方が今より遥かにマシだった、とも言える。想像していた未来が実際の未来とどれくらい食い違っていたか、なんてのは馬鹿にされたり責められるべきことではない。指摘そのものがナンセンスだ。
何しろ、今の作家や漫画家、もっと広いジャンルで言えば「クリエイター」で、読者、視聴者を含む他人に「これは!」と思わせる50年後や100年後の未来像を描ける人なんてほとんどいない。そういったフィクションの作品も指折り数えるほどしかない。これも繰り返しになるが、例えばニンジャスレイヤーは「過去のSFのパロディ」であって、現代から想起される未来像を描いているわけではないし世界観も新しくはない。私が思いつくのは士郎正宗くらいだけれど、それだって彼が当初アップルシードで描いていた未来像と本当の「現在」があまりにもかけ離れすぎたために、作品そのものが凍結されてしまったほどだ。
いまやSFというジャンルそのものが死に瀕している。流行の最先端にいる人間ですらiPhoneやTwitterやFacebookを登場前に予測することはできなかった。その我々が、どうして30年40年前の人間を笑えるというのか。