結局観に行きました

 やっぱり実際に観に行かないと駄目ですな。
 しかし、3日で映画3本見たのなんてずいぶん久しぶりだ。


(以下ネタバレあり)











 さて、前作の雨と雪がかなり受け付けなかったので一人だったら絶対この映画を観に行くことはなかったと思うけれど、折角お誘いを受けたので前言を翻して観に行くことにした。我ながら調子のいい話ではあるが。
 で、最初に結論をいうと、やはり観もしないで人の言葉を借りるべきではなかったと反省することしきりである。
 前にも取り上げたこの記事。


小さい子を持つ父親の理想像

演出面では、九太に可愛げが足りないのが少々マイナスか。バケモノがかわいそうになるくらいの悪ガキぶりは、ほほえましくみられるというラインを超え、ちょいと無礼にすぎる。

また、現実の渋谷の街とバケモノ界を同時に存在させ行き来する世界観は、絵敵に新鮮だし都内在住者としては非常に面白い。女子高生とのほのかなロマンス風味も、前半との落差に驚かされると同時に、きゅんきゅんする魅力がある。


 前段が前半の評価で後段が後半の評価だが、私の評価は正反対である。
 正味二時間の映画は正直言って長かったが、それでもこの映画に詰め込まれたプロットを消化するには短すぎた。というか詰め込みすぎである。この映画のテーマを正面から描くなら、1クールアニメでもまだ足りない。2クールほど必要だろう。つまり「やりたいことが多すぎる」のだ。
 中でも一番邪魔だったのが上で触れられている「女子高生とのほのかなロマンス」である。もっといえば楓に関するプロットは全部不要だった。


・現実の渋谷の街の描写にCGが使われ、妙に美しい割に現実味がない。逆に幻想の街である渋天街は手描きっぽいタッチが多用され、生き生きとしている。実際、主人公は冒頭の渋谷の街で他人とほとんど会話しない。街の人間は「風景」である。反対に渋天街の市場のバケモノたちは次々に主人公に話しかけてくる。つまり現実が幻想で、幻想が現実になっている。これは意図的な演出で「現実世界から捨てられた主人公が、幻想世界で自分の居場所を見つけ、生き方を見出す」ことを象徴的に表しているのだと思う。


・一緒に観に行った人とも話したのだが、前半の(主人公が声変わりするまで)は一人の少年の成長を描く物語として成り立っている。登場人物の個性も引き立ち、描写も活気がある。


・ところが、主人公が現実世界に戻ったところから話がおかしくなる。というか、そもそも「簡単に戻れることがおかしい」のだ。いともたやすく行き来できる場所なのであれば、主人公がわざわざバケモノたちの間で頑張って生きてきたのはなんだったのか、という話になるし、ではなぜ他の人間は向こうに行こうとしないのか等々、他の設定が破綻してしまう。


・そして主人公は、それまで強くなるために熊徹の下で修行してきたにも関わらず、突然勉強がしたいと言い出す。主人公は現実世界から捨てられたと思っていたはずなのに、なぜ唐突に戻りたくなったのか。説明もそこに至るまでの心理描写も一切ない。前半で強くなりたいからと熊徹の足跡を必死で追ったり、所作を真似したり、緻密な描写をしてきたのと同じ作品とは思えないほどの豹変振りである。


・象徴的なのが楓の存在だ。演者には申し訳ないが、宮崎あおいさんが前半で熱演しているだけに楓と後半の主人公の演技が浮きまくっているというのもその印象を加速する。


・楓が自分の家庭環境を主人公にベラベラしゃべるシーンとか、聞いてるこっちは「はあそうですか」という感想しか浮かばなかった。そういうのは作中の描写でそれとなく感じさせるもので一から十まで説明することじゃないだろ! 図書館で会った人間に突然勉強を教えてもらうことになったり親切にしてもらったり、ってそれ前作でもやったじゃん! 場所が変わっただけだよ!(笑)


・あと、父親との再会も「なにこれ」っていうほどあっさりしている。父親があまりにも写真のままの姿だったせいで最初は「渋天街は妖精郷だから外の世界と時間の流れが違うのか?」と思ったくらい。


・前半の悪ガキだった主人公が無礼だという印象はまったく持たなかったが、後半の主人公は薄情(というか何考えてるかわからない)すぎる。育ての親か生みの親かを選ぶのに、いきなり怒鳴りつけるだけで悩んだり葛藤とかはないわけ? と思ったけど、自由に行き来できてしまう設定のせいでそこもダイナシ感が。


・そしてクライマックスの戦闘。主人公は「一郎丸の闇を自分に取り込んで自殺するしかないのか……」とか言い出す。思い詰めるのはいいんだけどそんなことできるって誰に教わったの? それで解決できるってどこに書いてあったの? この辺こそ説明が必要な場所じゃないの?


・主人公の手を取って駆け出し、電車に乗り込む楓。アンタ突然バケモノの戦闘に巻き込まれて街は火の海なのにめちゃくちゃ冷静だな。ところで、この戦闘を現実世界でやる意味って「その方が絵になるから」以外に物語的な理由が思いつかないんだが……。


・せっかく一郎丸と主人公を対比する存在として描いたのに、主人公が現実世界を選んだ経緯がわからないから一郎丸が渋天街に残された意味も不明瞭なまま終わる。


・とにかく楓に関するプロットは全部切って、熊徹と実の父親の対比、主人公と一郎丸の対比を丁寧に描写すればもっと作品としてまとまったのに、と思うと残念だ。例えば主人公が高卒認定受けるエピソードとか、前作の保健所のエピソード同様、まるで必要性が感じられない。



 なお私の今回の感想は、映画視聴後に一緒に見た人と話したり、教えてもらったサイトを閲覧したりして補足、修正した部分があることを付け加えておきます。そちらに迷惑がかかると困るのでリンクは張りません。上記の文責はもちろん、私自身にあります。