旅路の終わり

 スプラトゥーン以外のオンラインゲームに関しては、まず何よりこれに言及しないわけにはいかない。


「ヴァナ・ディール プロジェクト」を解説する


 14年間である。14年間、国内の同種タイトルに比しても決して少ないとはいえない数のユーザーから支持を受けていながら、その最期は「ソーシャルゲームと外国資本にあっさりタイトルを売り渡す」。これがFFのナンバリングを冠したオンラインタイトルが辿った末路である。
 営利企業に対して“採算が取れないプロジェクトをそのまま続けろ”などと理不尽なことをいうつもりは毛頭ない。ただ、採算が取れなくなったのなら終わればいいのだ。FF11のそれは単なる終了告知を超え“ヴァナ・ディールという世界を思い出の中に眠らせることすら許さない”“金が搾れる限りはどんな阿漕な商売だろうと利用する”という大々的かつ一方的な宣言だった。その世界がかつてユーザーからどれだけ支持されどのように愛されていたか、なんてことは、金勘定しかしていない人たちにはどうでもいいことなのだろう。
 例えば、下のこれは広告記事である。


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筆者もFFXIには相当入れ込んだクチだが,そんな自分がグラマスをプレイしていると,かつてヴァナ・ディールで過ごした思い出が次から次へと呼び起こされ,“望郷の念”に駆られて胸が苦しくなることすらある。
事実,グラマスのワールドチャットを眺めていると,FFXIの同窓会トークに花が咲くこともあるので,筆者と同じように感じている人も多いのかもしれない。


 意図的にこの記述を入れたのであればなかなか度胸のあるライターだし、そうでなければ無意識につい本音が出たというところか。
 考えてみてほしい。今、目の前で遊んでいるゲームが心底楽しければ、望郷の念で胸が苦しくなったり、わざわざ違うゲームの思い出話などワールドチャットでするだろうか?  


 私にとっては、今のゲーム業界を端的に象徴する出来事だった。想い出も思い入れもあったからこそ辛かった。
 2015年は別れの続く年だったが、これがその皮切りになったといっても過言ではない。
 なお、DQXの話は今日は意図的にはずさせてもらった。