最初笑い飛ばしたけど

 昨日書いた自分のエントリを読み返し、最初は笑い飛ばしたけど、後からなんだかモヤモヤした気分が消えなくなったので、自分の考えを整理する意味でもちょっと書いておく。3年も前の話題を蒸し返しているのは重々承知の上で、だ。
 もう一回リンクを貼る。


テーブルトークRPGは和製英語なのか


 当初、表題に関するやり取りが続き、最初に具体的な言及のあったツイートがこれ。



 次のこのツイートの日時に注目してほしい。



 友野氏は「文献資料はない」と言っているが、時刻としてその前のツイートである上記のツイートでは、はっきりと「ウォーロックの10号」という資料を挙げている。昨日画像を載せたとおり、署名記事でライター本人が「自分の造語だ」と断言しているのだから、これは普通文献資料と呼ばれるはずだ。言葉の起源に関して、初出を挙げる以上の資料が存在するとはちょっと考えにくい。

 その後のツイートがこれだ。



 はっきりと「最初に使ったのは安田氏である」と断言している。しかし続いて──



 誰が言ったか覚えていない言葉を最初に使ったと断言するのもなかなか凄いな、と思うが……。
 近藤氏の言及はこうだ。




 さて、これを読んでどう思われるだろう。「BさんがAという言葉を作った」というのと「CさんがAという言葉を作って記事を書いたらBさんに好評だった」というのは、少なからず異なる事象のように思われるのだが(友野氏の最初の呟きにははっきりと「造語した」と書かれている。「使った」ではない)。
 もちろん、近藤氏からはこの後フォローが入る。個人的には、このツイートが大人すぎて一番感心した。



 これに対する返しがこれだ。



 あなたはこれを「補足」だと感じただろうか。それとも「訂正」だと感じただろうか。 
 当該記事は「ウォーロック編集部」名義でもなく、編集長との共著でもない。あくまでも近藤氏の単独署名記事だ。近藤氏のツイートからは、安田氏はウォーロックの編集責任者という立場でのみ関わっており、実際に言葉を選んだ(作った)のも、それを記事として書いて署名したのも近藤氏だ、としか読み取れない。

 もちろん、当時のウォーロック編集部ではもっと親密なやり取りがあったのであろうし、厳密に誰が作ったのか、今となっては断言できないのかもしれない。近藤氏と安田氏、当人同士が納得しており、双方起源を巡って争っているのでもないのであれば、これはこれで終わりでいいのだろう。

 ただ、一つだけどうしても気になって仕方がないことがある。



 私がモヤモヤしたのは、実はこのツイートである。

 友野氏は作家だ。言葉を操ることを生業にしている人だ。それが、資料を挙げて「こうではないか」と言われた事象に対して、資料を挙げずに伝聞で「自分はこう聞いたから事実はこうだ」と述べる(しかも内容は実質的に身内へのヨイショである)。友野氏のネームバリューがあれば、TRPG業界という狭い業界で、呟かれた内容があたかも事実であるかのように、インターネットミームとして広がっても不思議ではない。
 亡くなった方々への言及がなければ何とも思わなかったかもしれない。しかし、今回のやり取りが、もし近藤氏ではなく、ここで挙がっている方々についてのやり取りだったら、相手からの「補足」は存在し得ない。資料を挙げて推論を述べた人がいるにも関わらず、その呟きは掻き消え、知名度が高い人による伝聞が「事実」として流布することになる。
 「歴史を語り残していくことが必要だ」という認識に立ちながら、どうしてこういう流れになるのか。「地道なことは苦手」で済ましていいこととは思えないし、苦手と自覚しているならなぜ最初のツイートをしたのか。それが私のモヤモヤが晴れない理由である。