9つの世界

 先日のGIGAZINEのエントリと自分の過去のエントリを読み返していて、今までに書いたつもりで書いていないことがあったことに気がついた。それは「D&DAD&Dの違い」である。「ドラゴンの種類分けが違う」とか「ルールの分割方法が違う」とか、部分的には色々書いてきたが、網羅的には書いていなかった。
 といっても、今日のエントリも網羅的に書こうというわけではなく、D&DAD&Dの大きな違いの一つ「アライメントの違い」をピックアップしようというエントリである。

3つから9つへ

属性 (ダンジョンズ&ドラゴンズ)


 そもそも「アライメント」とは、D&D(アドバンスドを含む)において、自分のPCの行動の指針となる属性のことである。日本語訳としては「性格」とあてられることもあるが、「おっちょこちょい」だとか「せっかち」だとか、一般的にいわれる「性格」の意味するところとはかけ離れている。なお、ウィザードリィでは同要素について、ゲーム中では「性格」、小説内では「戒律」と呼んでいる。

 第三版になる前のD&Dにおいては、アライメントは「ローフル・ニュートラル・カオティック」の3つだった。上のウィキペディアの説明においても、これには「秩序・中立・混沌」の訳語があてられ、後で述べる9属性の一軸のそれと同一扱いされている。しかし、例えばメディアワークス版のルールブックにも「ローフルな振る舞いは、普通は良い行いと同じこと」「ケイオティックな振る舞いは、普通は悪いと呼ばれる行いと同じこと」という一文があるとおり、D&Dの「ローフル」は善と秩序の中庸的な意味であり、カオティックは悪と混沌の中庸的な意味である。こう考えると、後で述べるAD&Dのカオティック・グッド(混沌にして善)にD&Dのカオティックをあてがうのが適切かどうかは疑問が残る。

 AD&Dになると、「ローフル・ニュートラル・カオティック」の軸に加え、「グッド・ニュートラル・イヴィル」(善・中立・悪)の軸が付け加わる。PCのアライメントは3*3=9の属性のいずれかに分けられるようになった。Fateシリーズで、サーヴァントのステータスを表すのに使われているのは、このAD&D版のアライメントと同じものである(ただし厳密な意味での解釈は原作と異なっている場合がある)。*1
 それぞれの説明はWikipediaにもあるが「善・中立・悪」は「利己的か、利他的か」とも言い換えられ、「秩序・中立・混沌」は「法や集団を重んじるか、個人を重んじるか」とも言い換えられるだろう。「利己的で法や集団を重んじる」というのは一見矛盾するようだが「自分のために法を悪用する」というのがわかりやすい。逆に「利他的で個人を重んじる」というのは「他者のために法を破る」ということになる。

公平か不公平か

 Wikipediaの説明にもあるように、AD&Dのアライメントは第4版で一旦単純化されている。分かりにくい属性があったためだろう。また、D&DAD&Dにはかつて「属性に反する行動を取るとペナルティ」というルールがあったが、これを適用すると(DM視点から見て)一見等しく見える9つの属性のうち、一つの属性だけがロールプレイ上、著しく不利になってしまうという難点があった。
 秩序にして善、つまりローフル・グッドの属性だけが、セッション中、重大なジレンマに陥る可能性があるのである。

 分かりやすい例を挙げよう。

 それぞれ9つの属性を持つ9人のPCが、とある町へとやってきた。その町は帝国の領内で、商業で栄える町だが、現在危機的な状況にある。帝国には「町へと繋がる街道の数が多いほど、税が高くなる」という法律がある。街道が多いほど、商取引で上げる利益が多いと考えられているからで、実際にこの町以外では巧く機能していた。
 ところが、ローフル・イヴィルの領主が赴任し、使いもしない街道を無理矢理何本も整備して、税額を跳ね上げてしまった。町人の暮らしは一気に苦しくなり、餓死者まで出そうな状況だ。
 さて、9人のPCはどう行動するだろうか。


 まず、ローフル・グッド以外のPCについて解説する。

  • ニュートラル・グッドのPCは、法を重視せず、善なる行動を取る。人々には、そのような法律は守る必要はないと諭すだろう。しかし、カオティックではないので積極的に領主を打ち倒すべきだとまでは言わないかもしれない。いずれにしても、人々に味方する行動をすればいい。迷うところはない。
  • カオティック・グッドのPCは、悪法を打倒しようとするだろう。人々を先導して領主を打ち倒そうとするか、あるいは領主を暗殺しようとするか。人々が困っているのは悪しき秩序のためであり、これを打ち破ることに躊躇はない。
  • ローフル・ニュートラルのPCは、人々を助けようとはしないだろう。可哀想であっても法は法であり、秩序と規範は守られねばならない。少なくとも他のところでは巧く機能しているのだから、人々の苦難は秩序を守るために必要な犠牲である。
  • トゥルー・ニュートラルのPCは、我関せずを貫く。人々が困っていたとしても、それは往々にしてよくあること。介在すべきではない。
  • カオティック・ニュートラルのPCも、人々を助けようとはしない。法のあり方に問題があったとしても、自分に関係ないのであれば、どちらにも味方しない。あるいは、自分に不利益になりそうになったとき(自分も税を払えと言われるなど)、初めて動くかもしれない。
  • ローフル・イヴィルのPCは、領主に共感するかもしれない。法を巧く利用して自分の利益を上げているからだ。領主に味方して自分も利益を上げようとするかもしれない(味方しなければならない、ではないことに注意)。
  • ニュートラル・イヴィルのPCは、町人にも味方しないし、領主にも味方しない。あるいは、カオティック・グッドのPCが叛乱を主導した時、それに味方する振りをして裏切って領主側につくかもしれないし、反対に領主側についている振りをして叛乱側に領主を売り渡すかもしれない。いずれにしても、面倒になる前に逃げ出すだろう。
  • カオティック・イヴィルのPCは、何も気にしない。町の窮状に関係なく攻め込んで略奪しようとするかもしれないし、町人と領主の争いのドサクサに紛れて強盗か、あるいは別の悪事を働くチャンスだと考えるかもしれない。消極的に振る舞うなら、ただ立ち去るだけだろう。


 これら8属性の中で、例えばグッドの属性は「町を助けなければならない」と事実上行動を強制されるかもしれないが、少なくともジレンマに陥ることはない。では、残った最後。ローフル・グッドの属性はどうか。

  • ローフル・グッドは自縄自縛に陥る。ローフルの属性に従うなら、法と秩序と規範は守られなければならない。少なくとも、帝国の他の場所では巧く機能しているということは、現段階ではそれは悪法とは言えず、領主は法を破って暴虐を働いているわけではないからだ。むしろ、カオティック・グッドの人間が叛乱を起こそうとするなら、それを止めなければならない立場にある。しかし、実際に困っている人間が存在し、助けを求めてきたなら、善の属性に基づきそれを助けなければならない。善悪の属性軸における中立や悪は、必ずしも中立を保ち続けたり、あるいは悪事を働き続けないとペナルティを受けるわけではない(「興味ない」といって立ち去ればいい)が、善は悪を見逃すだけで属性に反することになってしまうからだ。


 いかがだろうか。これは設定されたシチュエーションが特別だからこうなるのではなく、どのように設定しても、ジレンマが起きるとすればそれはローフル・グッドにのみ(秩序と善が相反した場合)起こる。対偶であるカオティック・イヴィルは、混沌と悪が相反しても、常に法を破り続けなければならないわけではないので、自分の利益が最大化される行動を選択すれば、それで属性を守ったことになる。ジレンマは起こらない。
 また、例えば「法と秩序を守って人々が幸福に暮らしている場所」で、カオティック・グッドの人間が「秩序を破壊すべきか、あるいは善を守るべきか」悩むこともない。「自分には合わない場所だ」とスルーしてしまうだけでいいのだ。ローフル・イヴィルも同様だ。
 中立の要素を含まないローフル・グッドのみが、どちら側についても属性違反になる可能性を秘めているのである。


 もちろん、実際の英雄譚ならばこの手のジレンマはつきものであるが、ジレンマの結果ゲーム上のペナルティを蒙って経験値を減らされる、となると話が変わってくる。ジレンマに陥るのがPCではなくプレイヤーになるからだ。なお、あの「D&Dのよくわかる本」に、アライメントに反する行動を取ってペナルティを受ける寸前まで行くエピソードがある(あれはプレイヤーが強欲だっただけだが……(笑))。

アライメントの難しさ

 もう一つ、ローフル・グッドのジレンマとは別に、アライメントルールの難しさをあらわすエピソードを紹介する。これは先ほどとは違い、私の創作ではなく、黎明期のオフィシャル・D&Dマガジンでのセッション中に実際に発生し、読者の間で論議を呼んだケースである。

 とある属性混成パーティが、ダンジョンを探索していた。呪文などのリソースが尽きかけ、帰途に着こうとしたところで、シーフが通路脇の部屋に宝箱があるのを見つける。彼は属性がカオティックだったため、パーティメンバーの意見を聞かず、財宝目当てに部屋に入って宝箱に近付いたところ、隠れていたワイト(幽鬼)の不意打ちを受ける。ワイトはレベルドレイン能力を持ち、ドレインによってレベルが0以下に下がると自分もワイトになってしまうというアンデットモンスターである。
 反撃できるリソースがないと判断したパーティは逃走を図るが、シーフは部屋の奥まで踏み込んでいたため対応が遅れる。ここでマジックユーザーのPC(属性はニュートラル)はシーフを部屋の中に残したままの状態で咄嗟にドアを閉め、魔法の鍵(ホールドポータル)で外から施錠する。ワイトは部屋の中から出てこれないが、一緒に閉じ込められたシーフも魔法の鍵を開ける手段を持たず、当然死亡。


 果たして、このマジックユーザーの行動は、ニュートラルとして正しかったか、という議論である。これが議論になったのは、実はレベル差から見ると、パーティが正面から戦えばワイトにギリギリ勝てる強さだったからだ。

 また、プレイヤー自身による補足として、このマジックユーザーは若い頃にワイトに遭遇してパーティ半壊の目に遭っていること、PCは敵や自分のレベルを知っているわけではないので「ワイトは仲間を殺した恐ろしい怪物」という認識しかなかったことを挙げている。

 この議論、結局は結論が出なかったと記憶している(その前に雑誌が廃刊になった)。


 このように運用が難しいからこそ、後続のゲームではアライメントルールが採用されなかったのだろうが、あの頃にはこれは必要なルールだったと私は今でも思っている。なぜなら、アライメントがあることで「プレイヤーとPCは別人である」という認識を徹底できたからだ。アライメントルールのない、例えばソードワールドでは、アライメントに関する論議は確かに起きなかった。その代わりに「ゴブリンのジレンマ」が起きた。PCの行動が属性に照らして妥当かどうかを求められる代わりに、プレイヤーの判断が倫理的に妥当かどうかを求められるようになってしまったのだ。それがTRPGにとって幸福なことだったとはどうしても思えない。

*1:本来のAD&Dのモンスターマニュアル、フィーンドフォリオの分類では、異教の神、つまりキリスト教以外の神は全てデヴィルであり、ローフル・イヴィル。キリスト教における悪魔はデーモンと呼ばれ、カオティック・イヴィル。つまり、Fateのサーヴァントは、キリスト教に由来する何人かを除いて、クーフーリンもゴルゴーンもギルガメッシュも全員ローフル・イヴィル(秩序にして悪)に分類される。……しかし、それではゲームにならないだろう(笑)。