SSRの20枚重ねとか初めて見たぞ……。っていうか、これじゃゆかさえ(ほとんど)関係ねー(笑)。
怪盗団を信じるか?
最初「ハッハッハ、まだこんなこと言ってるのがいるよ」と苦笑して、そのあと思わず真顔になってしまった。
前にも書いたけれど「ペルソナ5の改心は洗脳ではなくて、本人の善性を呼び覚ましているだけだ」というのは、ゲーム本編ではっきりと描写されている。祐介のコープを一回でもやれば、怪盗団に出会う前から、斑目にも「善い一面」があることは明白だし、春のコーブでも奥村の善良だった頃のエピソードが登場しているのだから。
また「怪盗団の世直しが身勝手な正義感にしか見えない」と言ってる人たちは、画面左上にデカデカと表示されているカウントダウンが目に入らなかったのだろうか? 期限がきたらバッドエンドになるのだから「身を守るためにパレスを攻略するしかなかった」のである。本当に「相手を改心させるかどうか」が怪盗団の自由意志に委ねられているなら、期限など存在するはずがない。竜司がやいのやいの騒ぐから、そう思い込んでしまっているのかもしれないが、怪盗団の本当のモチベーションは「自衛」なのだ。
と、ここまでは前と同じだ。しかし、今回私はふと気づいた。
ここで「改心は洗脳」だとか「怪盗団は身勝手」だと言っている人たちの書き込みが、ペルソナ5劇中の「怪チャン」に書き込んでいる人々、メメントス最深部で怪盗団が相対した「集団的無意識」を構成する人々の書き込みそっくりなのだ。彼らはジョーカーという人物の記憶を最初から最後まで追体験しているにもかかわらず、である。
もちろん、彼ら自身はそんなこと自覚してもいないし、ゲームを一歩離れたところから批判しているつもりだろう。しかし、それは劇中の「怪チャン」に書き込んだ人々もそうではなかったか。
もし、ペルソナ5の製作者たちが、上記の点をシナリオの重大な瑕疵だと考えているなら、続編のテイザームービーで明智に「怪盗団は本当に正義だと思うか」などと問いかけさせるはずがない。つまり、これらユーザーの反応は製作者たちにとっては織り込み済みの反応だ。疑問を呈すれば呈するほど、彼らは、そして我々も製作者の術中に嵌まるのだ。
そして今、私たちはもう一度、現実世界の怪チャンを前にして、ゲーム内と同じ質問を突きつけられる。
「貴方たちは怪盗団を信じますか? Yes or No?」と。
──私はもちろんYes! である。
- 出版社/メーカー: アトラス
- 発売日: 2016/09/15
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