本編ではなく劇場


 本編ではなく劇場でこの曲ってなかなか凄いな。デレマスでカッコいい曲って久しぶりだ。

エグジーの「正義」


 「キングスマン」と「キングスマン・ゴールデンサークル」を観た。かなりギリギリまで観るかどうかを迷っていた作品だ。結局観たのを後悔はしていないけれども、事前の印象が覆ったかといえばそうでもない。ただ、2作品を続けて観て、恐らくこの作品が私に合わないのは表層的な部分ではないのだろうな、と思ったりした。


 以下、本編の激しいネタバレを含むため折り畳みます。未視聴かつネタバレを避けたい方、あるいはキングスマンの批判的意見は目にしたくないという方は、以下は読まないでください。













 X-MENMCUの作品のように筋を追って感想は書かず、思ったことだけを書いていく。

 とにかくハリー役のコリン・ファースがカッコいい。この映画、コリン・ファースとマーリン役のマーク・ストロング、おっさん二人のカッコ良さだけで8、9割引っ張ってるんじゃないかっていうくらい。有名な「バー・ファイト」もそうだけど、アクションもさすがの出来。スーパーヒーローやミュータント能力がなくても、これだけアクションは派手に作れるというのを世界に示したわけだ。



 また、そういう派手なシーンだけじゃなくてちょっとした洒落た小ネタが各所にちりばめられている。
 例えばキングスマン(以下「1」)で、主人公のエグジーが「マイ・フェア・レディ」を観ているのを知ってハリーが驚くシーンとか。*1一番「お、これは」と思ったのはキングスマン・ゴールデンサークル(以下「2」)のラストで、ハリーが

 かつてキングスマン創始者の一人がこういった。(As one of our founding Kingsman once said...)
「これは終わりではない。終わりの始まりでもない。("This is not end. It is not even the beginnng of the end.)
しかしもしかしたら、始まりの終わりかもしれない」(But it is, perhaps, the end of the beginning.")」


 こんな台詞を吐く。もちろん、これはウィンストン・チャーチルの有名な言葉であり、「キングスマン創始者」にチャーチルが含まれることを暗に匂わせている。直接語らないのがミソだ。

 そんな私の好きなシーンと、1の「威風堂々」が流れるシーンや2のミンチ・マシーンのような、私の嫌いな「ワザとやってる悪趣味(グロだけではなくエロも)」のシーンが入り混じって出てくる。
 この悪趣味なシーンがどうにも苦手で、だからこそ長いことこの映画の存在を知りながら、ずっと放置していたのだ。とはいえ、この悪趣味は計算された悪趣味さであって、監督にとっては「この映画は悪趣味だ」と言われるのは褒め言葉なんだろう。
 ただ、それでも好きなシーンに釣られて何度も何度も観ているうちに、単なる悪趣味ではない、そういったシーンの後ろに別のものが見えてくるようになった。私に合わないのは、むしろそっちの方に思えてきたのだ。その「見えてくる別のもの」というのが、表題に挙げた「エグジーの正義」である。主人公であるエグジーの正義、それはすなわち、この作品のテーマそのものだ。

それは自衛か否か

 実は「1」には、主人公側(つまりエグジーとハリー)による「大量殺戮」のシーンが2回登場する。1つ目はハリーが教会で群衆を殺戮するシーンで、これは1のヴィラン(悪役)であるヴァレンタインの「精神操作」によるものだ。
 問題は2つ目である。これが例の「威風堂々」の流れるシーンな訳だが、どういう状況かというと「主人公のエグジーが敵に追い詰められたシーンで、相手を一気に倒すために、敵の頭に埋め込まれているマイクロチップをハッキングして自爆機能を起動させる」というもの。身を守るため、ではあるものの、問題はチップが埋め込まれているのがエグジーを追い詰めている戦闘員だけではなく、ヴァレンタインの賛同者全員だという点だ。
 ヴァレンタインの計画というのは「環境問題を解決するために人口を減らす」。そのために「賛同者以外は皆殺しにしよう」というものだ。それに賛同しているということは「悪人」なのだから、殺しても構わない──本当に?
 「1」の映画の1時間35分前後に、こんなシーンがある。

ヴァレンタイン「静かだな」
ガゼル(ヴァレンタインの部下の殺し屋)「大量虐殺を気にしてるのかも」
ヴァレンタイン「マイクを──みんな私の話を聞いてくれ。
 どうしたというんだ? はっきり言っておくが今日は祝うべき日だ。死について考えるのはやめにして、誕生を祝おう。
 (中略)
 疑いの心と罪悪感を捨てるんだ。ここにいる君たちは選ばれた人間なのだ」


 これをヴァレンタインがわざわざ演説したことからわかるのは、賛同者たちは必ずしも積極的に彼に賛同しているとは限らない、ということだ。自分の命を人質に取られてもいる。「消極的賛成」の人間もいるのだ。そういった人間も含めて、世界中のマイクロチップを埋め込んでいる人間全て(ヴァレンタインが語るとおり、そのほとんどは各国の要人)を──1名を除き──エグジーは自分の身を守るために皆殺しにしてしまったのである。
 もちろん、あのシーンではチップを起動しなければエグジーは殺されていた。止むを得ない事情だった。ならば、事後にエグジーはそのシーンをどう振り返っているか? 2の19分30秒頃のシーン。

 今見ても派手な見世物だよな。(Hey,Merlin. Still fucking spectacular,eh?)


 世界中の要人を爆殺したら、あちこちで大混乱が起こったはずだが(描写はない)、悔やんだり、反省している様子は微塵もない。彼は心底この判断を正しいと思っている。
 悪人か、そうでないか。単純にそれだけではなく、実はこの殺戮シーンにはもう一つ隠されている事実がある。

陛下はどこに

 「1」の1時間16分23秒。ヴァレンタインがガゼルに、賛同者が増えたことを自慢するシーンである。この時ヴァレンタインのメモにあるリストの一番上にある文字が見えるだろうか。「United Kingdom」そして「The Queen」。エディンバラ公ウェールズ王子の名も見える。もちろん、英国で定冠詞をつけて女王と呼ばれる人間は、一人しかいない。その名前の右側にチェックマークがある。
 つまり、女王がこの計画の賛同者だった可能性があるのだ。もしそうなら、エグジーは女王を殺したということになる。もちろん、直接は語られないし、作中にエリザベス女王は登場しないどころか、名前すら一度も出てこない。「2」のアメリカ大統領は架空の人物だったから、女王も架空の人物である可能性はなくもないが、女王自体は存在している世界なのは確かだ。*2

 ここでもう一つ重要な事実がある。実は、私自身直接当たったわけではないが、原作では主人公の所属組織「キングスマン」はMI6所属であるらしい。それが設定変更され、映画ではキングスマンは「国際的な独立諜報機関」「政府の諜報組織のように政策やしがらみに影響されない」とハリーが語っている。現に、作中ではエグジーが女王に忠誠を誓うシーンは出てこない。
 また、1と2を観れば分かるとおり、1はキングスマンのトップが敵に寝返っており、2は本部がいきなり壊滅するため、1でも2でもエグジーは誰からの命令も受けていない。2で「ウイスキー」と対峙した時、彼は「俺たちは平和を守り善良な人を……」と言いかけるが、誰が善良でどうやって平和を守るかは、あくまでもエグジー自身が決めている。
 そんな、もしかしたら1で女王陛下を爆殺したかもしれないエグジーが2で救おうとしたのは「麻薬中毒患者」である。
 もちろん、私は麻薬中毒患者は救われるべきではないなどと、ウイスキーのようなことを言いたいのではない。逆だ。1でヴァレンタインの賛同者たちを皆殺しにしたことに、悔悟も反省もないのがエグジーの正義なのか? ということだ。
 2で、ステイツマンのトップであるシャンパンのこんな台詞がある。

 感染者たちは法は犯したが人間だ。


 これが正しいなら、ヴァレンタインの賛同者たちも、彼に賛同するという過ちは犯したが人間ではないのか。
 もし、キングスマンが政府の機関で、命令でそうしたというなら話は違うが、エグジーは自分の判断で、自分の責任においてそうしたのだ。

MCUX-MENなら

 もちろん私の脳裏に、アイアンマンやキャプテンアメリカといったマーベルの「苦悩するヒーロー」や、X-MENの「差別され迫害され、それでもなお人間と共存するか決別するか葛藤するミュータント」の存在があったことは確かだ。エグジーには悩みも葛藤もほとんどない(あったとしても犬を殺すかどうかくらいだ)。
 キングスマンのマシュー・ヴォーン監督はX-MENファーストジェネレーションの監督でもあるから、これは監督がどうこうというより、作品の世界観が趣味に合うかどうかという話なのだろう。
 円卓の王なのにほとんど見せ場のない新旧アーサー。何かを言い残す間もなく一瞬で殺される新旧ランスロット。ミサイルで十数秒で壊滅する新円卓メンバー。この作品、敵も味方もとにかく命が軽い。私はキックアスは観ていないが、この作品を心底好きになれるか、それとも部分的にしか好きになれないかは、この「命の軽さ」を受け入れられるかどうかなのではないかと感じた次第である。

 なお、余談だが「キングスマン」のメンバーには円卓の騎士の名が振られているため、ランスロットは裏切るんだろうかとか事前に色々想像してしまったが、裏切り者はアーサーだし最強の騎士ランスロットは一瞬で殺されるしで、モチーフとの関連性を考察するのは無駄という結論に至った(笑)。
 

*1:貧民育ちのエグジーが「大脱走」も「ニキータ」も「プリティ・ウーマン」も見ていないのに、何故か古典映画の「マイ・フェア・レディ」だけは観ているというギャップが面白いシーン。

*2:2でハリーがマナーを教えるシーンで、女王の存在に言及している。