やっぱり突っ込む人がいるのか


 やっぱりプレイ中に忘れ物したりするとコメントで突っ込む人がいるんだねぇ……。
 あ、別にそれが悪いというわけではないよ。ただ、私の場合は「そういうプレイスタイルなんだな」で流してしまいそうな気がする。動画として面白ければいいのであって、別に完璧なプレイ内容を求めているわけではないしね。

本が読めれば

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 ゲームが出来なくても、動画が見れなくても、ネットも見れなくても、電子書籍が読めて音楽が聴けるなら、鑑賞だけじゃなくそれなりの使い道はあるような気がする。

久々に爆笑

game.watch.impress.co.jp


 Watch Impressの記事を読んで爆笑したのは久しぶりだ。
 最初に断っておくけど「ゲームを遊んでいないのにゲーム内容について批判するのは間違いだ」というのは、私もその通りだと思う。
 問題はここだ。

 「指輪物語」の映画三部作、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを「切り売り商法だ」と怒る人がいないように(いや、いるのか?)、どちらかというと、分作せざるを得ないほど、濃密に濃密に「FFVII」を再構成していく作品が「FFVII REMAKE」なのだろうと筆者は理解している。


 FF7リメイクの分作を擁護するのに、よりによって「ロード・オブ・ザ・リング」を持ってくるとは、悪手もここに極まれりといった感がある。

 この記事を書いたライター氏も、FF7とFF7リメイクの関係性を語るのにロード・オブ・ザ・リングを持ち出す以上、よもや原作の「指輪物語」を読んだことがないなんてことは万に一つもないと思うが、一応書いておこう。
 まず指輪物語は、原作の時点で1954年から1955年にかけて出版された「三部作」だ。ピーター・ジャクソン監督は「原作の三部作を、原作どおり三部作として映画化した」だけだ。元々一作だったものを無理やり分けたわけではない。批判する人が見当たらなくても当たり前だ。原作どおりなのだから。

 次に、ロード・オブ・ザ・リングは「原作を濃密に再構成」した映画ではない。「原作が長大かつ濃密すぎて、映画一本分に収まるどころか三本に分作してすら入りきらないエピソードがいくつもある」のだ。サルマンの最期などがディレクターズカット版にだけ収録されていることやトム・ボンバディルが登場しないのは超有名な話であり、元々1本のゲームの冒頭部分のみを限界まで希釈して一本のゲームに再構成したのとは事情が全く違う。

 そして最大の相違点は、映画版のロード・オブ・ザ・リング三部作は、三作が同時に撮影され、一作目「旅の仲間」が公開された時点で、二作目「二つの塔」、同様に三作目「王の帰還」の公開時期まですべて明らかになっていたことである。分作の1本目が発売された時点で「全何作かもわからない」「次の作品がいつになるかもわからない」なんて作品と比較するのは、J・R・R・トールキンにもピーター・ジャクソン監督にも失礼極まりない話である。
 発売延期を繰り返した末、続編がいつ出るかわからない本作と比較するのに相応しい作品といえば「モンスターメーカー闇の竜騎士」あたりではないだろうか。