経験点チケットの話


 今日は、昨日のエントリの続きである。過去に無印天羅万象の業システムの革新性について書いたことがあるが、経験点チケット制については、端々で触れたことはあるものの、特に取り上げて書いたことはなかったので、そのことについて書こう。



 経験点チケット制はトーキョーNOVA・レボリューションで導入されたシステムである。経験点をPC(NOVAではキャスト)ではなく、プレイヤーに対して発行するというシステムで、動画の中でも言われているが導入当初は論議を呼んだ。通常、TRPGにおける経験点とは、PCが経験を積むことによって増える(架空の)ステータスなのだから、それがプレイヤーに対して発行され、経験点を稼いだのとは別のPCに使うことができるというのはどういうことなのか、と。リアリティがないとか、あまりにも視点がメタすぎるとか言われていた気がする。
 ちなみに、私自身はこれはライセンスのようなものだと解釈している。繰り返しになるが、TRPGにおいてキャラクターのデータと適用すべきルールが最もシンプルなのは、キャラクター作成直後の時点である。そこから成長していくにつれ、ルールや扱うデータの数は複雑化することこそあれ、減ることはない。つまり、経験点を使えば使うほど、ルールに慣れる必要がある。
 トーキョーNOVAにおける経験点チケットは、必ずしも対象となるキャストがセッションの経験を通じて強くなったかどうかを表すものではなく、プレイヤーが経験を積むことで、より強いキャストを扱い、より高度なルールを扱うことを許されるものだ、とそう思っている。だから、必ずしも経験点を稼いだキャストで使用しなければならないわけではない。その分ルールに慣れたのであれば、一から作った別のキャストをあらかじめ強くしても構わない、とするわけだ。
 もちろんそれに加えて、セッションにおいてうまくプレイングした報酬という意味も兼ねている。報酬であるからには、使えば消費するし、それ以上に使いたいのであれば稼がなければならないという一面も持つ。これも、次のセッションへのモチベーションとするためのプレイヤー視点での話だ。



 動画内で言われているとおり、経験点をキャストに対してではなく、プレイヤーに対して発行するシステムになったのは「ルーラーに対して、セッションを主宰することに対する報酬として経験点を発行する」というシステムを組み込みたかったからだろう。主観になるが、確かに当時、ゲームマスター(NOVAではルーラー)を進んで引き受ける人が少ないという感覚はあった。「ゲームマスターをやるのは大変なので、できれば自分はやりたくない」というプレイヤーが多かったように思う。
 ゲームマスターは操るPCがいないので、経験点をPCに与えている限りは、絶対にセッションで報酬を得ることはできない。プレイヤーに「自分もルーラーをやってみよう」と思わせるモチベーションにするためには、ルーラーもプレイヤーとして使える経験点を入手でき、かつそのポイントがプレイヤーとして得るより多くなければならない。そういった視点でデザインされたのが経験点チケット制だった。
 また、この前提条件を満たすためには、経験点チケットをプレイグループから外へ持ち出すことが可能でなければならない。なぜなら、その経験点チケットを振り出したプレイグループでしかその経験点を使えないとなると、特定のプレイグループでルーラーが完全に固定されている場合、ルーラーはどれだけの経験点を得ても無駄、ということになるからだ。従って経験点チケットは、コンベンションなどのように経験点チケットを切ったのとは全く無関係の場所でも使用できるようになったのだ。



 ところで、この「経験点チケットを外に持ち出せる」という点はデメリットも発生させる。つまり持ち込まれる経験点チケットの差による、活躍の格差を生むという点だ。トーキョーNOVA・レボリューションが秀逸だったのは、この「経験点チケット制」と、トーキョーNOVAが前版から持っていた「神業システム」を非常に上手く噛み合わせたことにある。
 どれだけの経験点の格差があっても、神業を放たれれば、打ち消す手段がない限り一撃で死ぬ。経験点1万点のキャストが経験点500点のゲストに殺されそうになり、経験点0点のキャストに守られる、という図式が生まれる。どんなキャストも1シナリオに3回の活躍の機会が必ず担保される。神業のシステムは経験点チケット制と同時に導入されたわけではなく、前の版からあったものだが、その時点では必ずしも評価は高くなかったと記憶している。完全な新アイデアと、評価の高くない旧来のアイデアを組み合わせて、一つの画期的なシステムとして昇華する。これはもう、デザイナーが天才だったとしか言えない。



 そして、これ以降起きたことが、デザイナーがあらかじめ全て想定していたことだったのかどうかわからないが、この「経験点チケットを他に持ち出せる」というルールが、副次的な効果を生み出した。それがトーキョーNOVA・レボリューションというゲームを遊ぶプレイヤーたちの緩やかなコミュニティの形成である。
 例えばチケットのルーラー名を見て「あなたも○○さんのセッションをプレイしたのですね」とか、シナリオ名を見て「このシナリオ、私もやったことがありますよ」とか。あるいは「是非次回、このシナリオのルーラーをやってもらえませんか? 今度は私がプレイヤーをやりますよ」とか。そういったやり取りが、直接同じ卓でプレイしていなくても、情報を共有できた。
 従来であれば、自分たちが遊んでいるプレイグループ以外のセッションの記憶など、エピソードトークでもしない限り共有できないものだったが、経験点チケットとレコードシートを振り出し、他のルーラーのところへ持って行くことなどを通して、新しいコミュニケーションが生まれたのだ。これもまた一つの、鈴吹社長がいう「感情移入の形」であり、後に公式シナリオが好んでプレイされるムーブメントへと繋がっていく。当時導入された経験点チケット制の、最大のメリットの一つだったと私は思っている。