辻褄は必要

posfie.com


 私はこの意見にはあまり賛成できない。辻褄という言葉をどう捉えるかにもよると思うけれども……本当に観客が物語の辻褄というものを気にしないのなら、細田監督の未来のミライはあんなに低評価ではなかっただろう。とはいえ、私は小説家ではないので、主にGMTRPGのシナリオを作る時の注意、という観点から例を挙げていこう。

辻褄≠リアリティ

 トピ主は「桃太郎で川上から桃が流れてきても、読者は何も言わない」といっているが、これは辻褄というより物語の前提条件、あるいはリアリティラインではないだろうか。桃太郎の物語は、桃から子供が生まれ、鬼ヶ島に鬼がいる世界だと語っているだけで、辻褄が合っていない訳ではない。
 確かにリアリティに関しては、物語の受け取り手が気にしない場合はある。「それはおかしい」と言い出すと話が始まらないからだ。ごんぎつねだって「狐は人間の生活習慣なんてわからないだろう」なんて指摘はしない。そこは作品内の約束事として飲み込めるからだ。
 ここはTRPGであれば「ルール」や「ハンドアウト」に相当する。D&Dで「魔法使いが魔法を使えるなんておかしい」と気にするプレイヤーは、少なくとも多数派ではない。また「ハンドアウト」についても、設定を許容してもらわないとシナリオが始まらないという点ではルールや世界設定に準ずる位置付けだ。

筋書きが理不尽だと……?

 ただし、作品内で一旦設定されたルールに反するような筋書きがあった時、受け取り手は「この物語には納得できない」と感じる。前にふぃあ通の動画で鈴吹社長も言っていたが、プレイヤーの感情は裏切ってはいけない。
 ここでいうルールとは、すなわち「因果」だ。原因と結果が嚙み合わないと、受け取り手には「この物語は理不尽で受け入れがたいもの」と受け取られる。鬼退治が終わった後に桃から桃太郎が生まれても、読者に納得は生まれない。未来のミライでいえば「くんちゃんの父親が自転車に乗れない」というエピソードは、くんちゃんが自転車に乗るエピソードの「前」に語られないと因果が繋がらない。
 TRPGのシナリオにおいても、リアリティはなくてもいいが、物語の中での因果、すなわち辻褄は合っていないと、プレイヤーは結末に納得できなくなる。



 TRPGのシナリオにおける「原因と結果」については、こちらの動画が分かりやすい。探偵(フェイト)に「行方不明の子供を探す」というハンドアウトを渡したなら、少なくともシナリオ中で、その子供がどうなったかは語られなければならない。暗殺者を追ってPCたちをデリーレの谷に向かわせるなら、当人がPCと関係ないところで洞窟の中で死んでいてはいけないし、突然出てきた帝国のスパイがPCたちに勝手に報酬を置いていってはいけないのだ。