「アラサカがあまり悪に見えない」というよりは「他の連中もおしなべて悪党だ」っていう話じゃないだろうか。その点、サイバーパンク2077とトーキョーNOVAとシャドウランで扱いが微妙に違っているのが、それぞれのゲームの個性を表していて面白い。
サイバーパンク2077のTRPG版の場合、コープというロールを選ぶことで企業に味方するPCを作成可能だ。これは、悪党を自分でロールプレイできるとも言える。でも、ゲーム版ではあくまでも「ドロップアウトした元コープ」までが再現できる範囲で「企業に仕え続けるPC」というのは作れない(結果的に味方することはできるが)。
シャドウランの扱いもゲーム版の2077に似ており、PCがプレイできるのはあくまでも「フォーマーカンパニーマン」、つまり元企業人であって、現在も企業に所属しているPCというのは作成できない。
これに対して、トーキョーNOVAはわかりやすくこの問題を解決している。サイバーパンク2077でいうところのアラサカにあたる「千早重工」は、版を重ねるにつれて、悪役を担う「軌道千早」と、PC側につくことが多い「地上千早」に分かれ、同じ企業の中でも相争うという図式が一般的になった。やはり、露骨に「悪役」の企業にクグツばかりだと、他のPCと協力し合えなくなったり、妥協点を見出しづらかったりするから、セッションの進行のやりやすさを考えるとこれは必然的な変化だっただろう。それでなくとも、PCが所属している組織が完全なる「悪」っていうのは、プレイする上で感情移入しづらい。
そして、ゲーム版のアラサカがメインシナリオ終了後に衰退していくというのは、動画で言われているとおり、ナイトシティの無情を表すものでもありつつ、また「基本的にはPCの敵役だった組織が、より強大になる」というエンディングだとプレイヤーがカタルシスを得られないので、「敵だったアラサカは、あなたの活躍によってナイトシティでの橋頭保を1つ失ったのだ」という、プレイヤーにわかりやすい成果をゲーム上に残した結果が、あのエンディングなんだと私は思っている。