ドルアーガの謎解きは何故理不尽なのか


 まずちょっと気になったところが、実在の、それも普通に顔出しでインタビュー等を受けている著名人の顔を、まったく似ても似つかない、AIが生成した画像を本人画像として動画に登場させる(しかもその画像は、本人だけでなく映っているパソコンも他も何から何までおかしい)というのはどうなんだろうと思う。まぁ、ここは人によって意見の分かれるところかもしれないが。

 個人的には、ドルアーガの来歴を語るのに、作者自身が語った一番重要なエピソードが語られていないな、というのが正直な感想だ。遠藤さん自身は後に、本作を「絶対の自信作」だと評価しているが、上の動画内で登場するエピソードはどれ一つとして、理由に挙げていない。氏が成功作だと判断する理由は究極的には一つだけで、それはドルアーガが作られた理由が「稼働率の下がってきたマッピー基板を利用するという点で、インカムもそこそこだったが、見事に効果を上げることができた」からと語っている。


druaga.to(下から二番目のQ&A参照)


 後にIPが受け入れられて関連作品が大ヒットしたことも、謎解きが賛否両論となったことも、全て後付けでしかない。当初はあくまでも「最初に作った目的を達成したのだから成功だ」というのが遠藤さん自身のコメントである。

 ところで、ドルアーガの塔を扱った動画は結構見ているが、謎解きが理不尽だという意見は結構多い。これは昔から言われてきたことだ。そんな中、動画内で1点だけ賛成できるところがあるとするなら、それは「当時、謎が理不尽で難しかったからこそ、プレイヤー間でのコミュニティの交流が促進され、ゲーセンノートなどの情報共有が進んだ面がある」ということだ。遠藤さんがどこまで意識していたかは、上にあるような彼が書き込んでいた掲示板の書き込みなどからは読み取れなかったが、恐らく氏ほど有能なゲームデザイナーであれば、これだけ難しい謎を散りばめれば一人ではクリアできないから、プレイヤー同士で協力するだろうという推測はしていたんじゃないかと思う。
 宝箱を出現させる謎解きについては、60フロアというステージがあるにもかかわらず、当時の容量の限界を考えれば、敵やアイテムにそれほど多くのバリエーションを持たせられないという制約があった。これを考えた時、宝箱の存在は、単に全ての敵を倒して先へ進む、あるいは逆に、単に鍵を取って扉を開けて先に進むという要素だけではなく、フロアに存在する様々なオブジェクトをどのように組み合わせ、攻略にバリエーションを持たせるかという、限られた資産を活かすための方策だったのだと思う。その面でも、ドルアーガの塔は成功している。

上がるだけでは悪魔を倒せないのはなぜか

 ちなみに、私はこのゲームの大ファンなので、以上のようなメタ的な視点からだけではなく、作中の視点から見た場合、この「宝箱を出現させる」というのにどういう意味があるのか、というのを考察したことがある。以下は公式ではなく完全な私見だけれども、書き散らしてみる。そしてここでもう一つ、冒頭の動画にツッコミを入れる必要がある。
 ドルアーガの塔は「古より伝わる伝説の塔」ではない。
 ドルアーガの塔のストーリーを読んだことがある人なら、あの60階建ての塔は「古より存在する」わけでないことはご存じだろう。あの塔は敵国であるスーマール帝国が主人公ギルたちの住むバビリム王国を侵略し、国民を奴隷として使って急ピッチで建てさせた物で、しかもアヌ神の怒りに触れて1回崩された後、悪魔ドルアーガの手によって一夜にして復活したものである。作中の時間でいえば、塔が建設されたのは古どころかごく最近、数か月あるいは数週間(建設中に負傷したギルの傷すら癒えないほどの期間)のことだ。



 この設定は、本作においてなぜ塔の上階に登るだけでは悪魔ドルアーガを倒せないようになっているのか、宝箱を出すのに謎を解く必要があるのかというのと密接な関係がある。それはドルアーガを倒すまでの一連の流れが、一種の宗教的な儀式になっているからだ、と私は考えている。

 まず、この塔を倒壊させたアヌ神は、聖書と同様、スーマール帝国がバビリム王国を征服し、天にも届く塔を建設させたことを「天界に手を伸ばそうとする傲慢な行為」と判断している。だから、天罰を下して倒壊させたのだ。そう考えると、動機はどうあれ「ギルが塔を上へと登っていく行為」は、「塔を建設する行為」と同様、神の領域を侵そうとする行為となる。
 アヌ神としては、悪魔ドルアーガを打ち倒して欲しいが、さりとて神の力を使って介入するつもりはない。武具は貸すが力は貸さないというのは「試練を乗り越えるのは人間自身であってほしい」という思いだろう。だから、過去にブルークリスタルロッドにドルアーガを封じたのはイシターだったが、今回はイシター自らドルアーガと相対することもない。アヌ神はギルに武具を渡したが、自らをドルアーガを倒すということもしない。
 つまりバビリム王国の王子、ギルが塔を登るという行為は、同時に「自分たちの行為は、スーマール王国のような神への不遜ではなく、神を崇敬する行動である」ということを証明する必要に迫られる。だからこそ、神の与えた試練を乗り越えない限り、単に上に登っていくというだけではドルアーガを倒すことはできないし、神の意志に反すれば落とされる(ZAPする)という構造になっている。
 それを踏まえると「壁を何枚壊せ」とか「上を何回、右を何回、下を何回押せ」とか「敵を特定の順番で倒せ」とか、複雑で一見必要性の見出しがたい条件が設定されているのは、それ自体が一種の宗教的儀式だからと考えると矛盾がない(典型的なのが60階のラスト)。そして儀式を完遂すると、報酬として神の加護である宝物が手に入る。入手する宝物の中に「クリアに必須でありながら、データ的にはギルを強化する効果が一切ないもの」が存在するのも、それがドルアーガを封じ、神への畏敬を取り戻すために必要な、宗教的な道具だからだ、というのが私の解釈である。少なくとも、ブルークリスタルロッドで見た神々の意図や行動を見る限り、こう解釈するのが最も自然だと思う。
 だから、どうしてゲームデザインとしてこんな設計になっているのかという点については、メタ的な理由もゲーム内での理由もどちらも成立するので、個人的には納得いかないとは思っていない。

 ただ、表だけでなく裏や闇ドルアーガも含めて、私がこれはちょっとどうかと思った宝箱の実現方法の最たるものは、PS版ナムコミュージアムの裏ドルアーガの塔の31階の宝箱の出現条件である「PlayStationのディスクトレイのOPENボタンを押す」というものだ。これがあるせいで、後継機の互換モードでは絶対に宝物が手に入らないという状態になっている。しかも入手できるアイテムはドラゴンの動きを停止させるパールなので、そこそこ必要なアイテムである。熱心なファンだと、わざわざこのために初代プレイステーションを残しているという話すら聞いたことがあるくらいだ。