扉の向こうの異世界


 日曜日に秋葉原に出かけてオーディオ関連の店を回った時、昔の出来事を思い出した。


 私の友人の一人に、極めて「熱しやすく、冷めやすい」性格の友人がいる。
 例えばFF11も、音ゲームも、その友人が先に遊び始め、私はそれに誘われるか影響を受けるような形で最初の一歩を踏み出した。ゲームだけではなく、自転車にハマった時は何十万円もする自転車を買い、直線距離で30km以上離れている私の家まで自転車に乗ってやって来たりもした。
 ただ、熱中度合いも使うお金も大きい代わりに冷めるのも早く、バイクを買ってからは自転車がどこにいったかわからないし、私が今も続けているFF11はとうの昔にやめてしまったし、音ゲームなど話の端に上ることすらなくなった。


 その彼が、一時期音響機器にハマっていたことがある。
 買い物に付き合ってくれと言われた私は、一緒に秋葉原に出かけた。


 ところで、秋葉原というのは面白い空間である。何を求めて踏み込むかによって、全く違う顔を見せる街だ。トレーディングカードを探している人間には萌え同人誌の店は目に入らないだろうし、PCのジャンクパーツを探している人間はTRPGを扱っている店がどこに存在しているかも知らないだろう。


 その日友人に誘われた秋葉原で見た世界は、私が知っているのとは違う世界だった。


 その店には萌えなど微塵もなく、パーツを求めてさまようリュックを背負った人影もない。上品な感じのする店員が慇懃な応対をする、壁面一面がスピーカーで埋まっている空間だった。
「CDをお持ちいただければ聴き比べていただけますよ」
 とその店員は言う。
「ここにあるCDを聞いていただいても違いはお分かりいただけると思います」

 最初に聞いたスピーカーは「あ、うちのコンポより全然いいな」という程度だったが、そこから徐々にグレードアップしていくにつれて私は空恐ろしくなってきた。
 語彙の貧弱な私にはその音を形容するのに相応しい表現が思いつかない。ただ、もう後半の音響システムは「フルオーケストラの演奏を目の前で聞くよりたぶんすごい音」としか言いようがない(フルオーケストラの演奏を目の前で聞いた経験なんてないが……)。
 より高価なシステムに目を輝かせる友人の袖を私は必死に引いた。


 1000万円だぞ1000万円!


 最初に私が聞いたスピーカー(最後にはずいぶん貧相な音に感じてしまったが)ですら、20万円とかそういう桁の買い物だ。最後のそれを買ったらどんなことになるか見当もつかない。そもそも友人も私も賃貸住まいで部屋の改装を前提とした音響システムなんて買えるわけがない!
 

 はっきり言う。秋葉原で最も恐ろしい空間とは、ジャンク品が天井まで積まれたPCショップでもなければメイド喫茶でもなく、ましてや萌え同人誌の溢れる同人ショップでもない。


 ここだ。


 熱に浮かされて1冊500円の同人誌を衝動買いしたところで1000万円使うには2万冊買わなければならない。美人のメイドさんに入れ込んでも、数時間で使ってせいぜい数万円だろう。
 ここには、衝動買いで7桁8桁の金が飛ぶ世界が広がっているのだ!


 MDプレイヤーを求めて中古の音響機器ショップを巡りつつ、あの日一度きりしか入ったことのない店を横目に見ながら、そんな昔のことを思い出した。
 その友人も、音響機器のことについてカケラも触れなくなってずいぶん経つ。
 私が一瞬だけ垣間見たあの異世界は、私にとっては今も異世界のまま、二度と開かれることのない扉の向こうに広がっている。