もう一人のピコピコ少年の思い出(16)

つわものどもがゆめのあと

 かつて「夢工場」というイベントがあったのをご存知だろうか。


コミュニケーションカーニバル 夢工場'87


 ウィキペディアの説明を読む限り、場所は「東京国際見本市会場」となっている(ビッグサイトの前身)。うろ覚えだが、私は当時この会場に船で行った記憶がある。
 友人たちのなかで、いったい誰が、なぜこのイベント会場に行こうと言い出したのか。そもそも何人で行ったのか。その辺は全部記憶からすっ飛んでいる。開催されていたであろう様々なイベントよりも何よりも鮮明に記憶に残ったのは、二つのゲームタイトルである。
 一つはこれ。



 本家のウルティマを、直前に大ヒットしたドラクエ2風に日本語版スタッフが大幅にローカライズしたゲームだ。とはいえ、性格診断から職業が決まる冒頭といい、町の人間を虐殺できるシステムといい、当時はかなり斬新だった。会場にあったのはロケテスト版だったせいか、悪逆の限りを尽くしてもペナルティがほとんどなかった(リスクがほとんどないのに、倒した町人が普通に宝物を持っていたりした)。製品版で大きなペナルティが与えられるようになったのは、あのロケテストで会場の子供たちが好き放題やったせいではなかったかと、密かに思っている(笑)。


 もう一つがこちら。



 あまり有名にはならなかったゲームだが「高橋名人の冒険島の元になったゲームの続編」といえば「ああ」と思う人もいるのではなかろうか。前作の「ワンダーボーイ」は家庭用移植で「高橋名人の冒険島」に生まれ変わったのだが、なぜか続編は「高橋名人の〜」にならなかった。
 こちらは普通に当時新作のアーケードゲームだったので、プレイ料金を使い果たしてウルティマロケテストコーナーに突入したんだったと思う。