- 出版社/メーカー: アトラス
- 発売日: 2016/09/15
- メディア: Video Game
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今日はダンジョンの話。割と辛口かも。
(ストーリーのネタバレはないがシステムのネタバレあり)
実は、ダンジョンに関しては5より4のダンジョンの方が好きだったりする。
今回の変更点、ダンジョンへの「潜入」という要素。戦闘も含めてステルスアクションが導入され、それ自体は今までとは趣向を変える、ということで評価できなくもない。だけど、その趣向を変えた部分が、最初はよかったのに後半どんどんズレてくる気がした。
まず、ストーリー上の要請として、相手に精神的な影響を与えるために心のなかに潜入し、オタカラを盗み出す。しかし正面から行くと相手の心の壁に阻まれるので、抜け道を探してこっそり侵入する。また、シャドウについても相手に気づかれると厄介な場面では見つからないように隠れて行動する。ここまではいい。
カモシダ、マダラメ……くらいのパレスまでは、このストーリー上の必然に合わせてダンジョンが形成されていたと思う。
ところが後半になると、ストーリー上の前提条件が変わっていないのに、ダンジョン内のギミックが変化する。カモシダパレスの「一見すると進めない道を、サードアイを使って抜け道を探し、天井裏に潜り込み、シャンデリアを伝って移動して奥へ」というあたりはなるほどと唸らされるが、例えばシドウパレスの「客からIDカードを集める」とか、物陰でもない食堂の真ん中とかで敵をブッ倒してカードを入手しているわけで、もはやステルスアクションとは関係ない。
ネズミに変身するギミックなども、そこにある理由がよくわからない。シドウが他人をネズミのように見下しているから? OK、もしそうだとしても、スイッチ一つで人間に戻り、さらに人間とネズミの両方を駆使して通路を進み、一方通行の扉を開けていくという段になると「???」となる。あんなギミックがあるなら、明智はどうやってあそこに入ってきたのか? シドウが心を許していたから入れた? いや、シドウが明智に心を許していないのは明らかだ。
また、オクムラパレスでIDを奪って侵入するのに「奥村氏は部下しか信用していないから」とか理由をつけるとしても、宇宙遊泳とスイッチのギミックになるとやはり「???」である。
つまり、パズルの存在が前提にあり、それにストーリー上の意味づけが足りていない気がするのだ。そりゃ、カモシダパレスで一通り、今回取れる行動の典型を網羅してしまうので、後のダンジョンでは目新しさを演出するために違うギミックが必要だというのは分からなくもないが……。
あと、ニイジマパレスはストーリーとギミックが割と噛み合っている気がした。OPが事前に公開されていることを考えると、カモシダやニイジマの各パレスは比較的初期に作られ、オクムラやシドウが後になって作られたので、初期の設計思想から外れてきてしまったのではないか、などと邪推してしまいたくなる。
パズルそのものがまったく不要、というつもりはない。しかし、クライマックスにガーッと盛り上がった後にネズミのパズルとか一筆書きのパズルとかをやっていると、パズルに苦労させられるせいでテンションが段々下がってしまうのが残念だった。同じようなパズルは世界樹にもあったのでアトラスのダンジョンの特色なのだろうが、世界樹はそれそのものが挑戦者の知恵を試そうとするギミックが存在してもおかしくない世界観なのでそれほど違和感を覚えない。しかしペルソナの「パレス」が侵入者の「知恵を試す」のは設定上おかしい気がする。設定上許容できるのはフタバパレスの壁画(これは存在する意味がちゃんとあった)くらいまでではないだろうか。
しかも、正解は一つしかないパターンが多いので、知恵を絞ることで行動の選択肢を増やしているというより、パズルを「解かされている感」が拭い切れなかった。
それだったら、4のように「普通にただダンジョンが存在する」だけでよかったと思う。せいぜい「行き止まりのように見えたらサードアイを使って抜け道を探す」くらいで……。
もちろん、他が素晴らしいのでこの一点を以って他の部分を否定するつもりは毛頭ない、のだが。