否定しているようで否定していない

スーパーマリオランの★1レビューにこじつけて、学生や若いゲーマーが不当にけなされていると思う


 最後の一文、つまり対価を払いたがらないかどうかと年齢は関係ない、は正しいのかもしれないけど、途中の論理展開に疑問が。

2012年の記事でインタビューした高校生は、「自分たちが無料で遊ぶことでゲームランキングが上がってゲームに貢献し、社会人が金を出す」ということを意識していた。彼は単に無料で遊んでいるのではなく、「自分に出せる対価は出している」と考えていた。

他にも「課金したら面白くなくなる(無課金でどこまで行けるかが楽しい)から、友達に勧めている」と語った学生だっている。


 これはどちらも対価を払っている例に出すのは不適当だろう。上に関しては対価を払っているのは社会人であり、下に至っては友達に無課金プレイを勧めているという意味にすら取れなくもない。

学生たちと話していると、ソーシャルゲームのやりすぎで頭が悪くなっているどころか、むしろドライなほど効率が良く、合理的で賢いと思わされることの方が多い。


 そここそが問題なのだと思う。つまり、頭が悪いかどうかではなく、ゲームを遊ぶために課金する手法に「効率」を求めることが、だ。そうなると「課金効率の悪いゲーム」は全て淘汰されてしまう。現にそうなりかけている。もちろんそれら全てを若者のせいにするつもりはない。それは、課金機会に心理学を応用するとかアホなことをした大人、というか製作者側の問題だ。


 そもそもこの話って、マリオランに妙な星1レビューつけた人たち、つまり「最初に殴りかかってきた人たち」への反論が発端だ。殴りかかれば反撃されるのは当然で、彼らを擁護するのは無理筋だ。「いや、自分が擁護しているのは星1レビュアーではなく、不当にけなされている若いゲーマーや学生だ」というのなら、最低でも「誰がどこでどうやって不当にけなしているか、そしてその内容」を明かさない限り、擁護もまともに受け取れないというのが順当な意見ではないだろうか。