ダブルクロス The 3rd Edition データ&ルールブック レネゲイドウォー カッティングエッジ
- 作者: 矢野俊策/F.E.A.R.,しのとうこ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/05/20
- メディア: 単行本
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今回はアニマルオーヴァードのサプリ。この早さでけもフレに合わせてくるとはさすがだ。
ところで、前回のサプリ「レネゲイドウォー」の時に、今度書くと言ったまま続きを書いていなかったことに、今更ながら気がついた。割とネガティブな話になる。ただ、もちろんこの間のゴッドブックみたいに「商品としての体を成していない」とか、そういうレベルではなく、あくまでも私個人の好みの話が……。
またこれは、やはり前々から書こうと思っていたものの果たせていなかった、「X-MENとアベンジャーズはどこが違い、何故私はX-MENの方が好きなのか?」についての話でもある。
誤解を恐れずいうなら、通常のダブルクロスのステージが「X-MEN」、今回のカッティングエッジで舞台となるレネゲイドウォーステージが「アベンジャーズ」である。
通常ステージのオーヴァードは、世間の目を憚る存在である。正体がバレれば迫害とまではいかないまでも、白眼視されることは間違いない。X-MENにおける「ミュータント」も同様だ。彼らははっきりと迫害されている。
一方、レネゲイドウォーステージのオーヴァードは、世間からはスーパーヒーローと認知され、敬意を払われている。それはアベンジャーズのエンディングで、ソーやハルクやキャップに謝辞を述べたり、歓声を上げたりする人々の姿と重なる。もちろんソコヴィア協定のような縛りは存在するが、スーパーヒーローであることを治そうとしたり(X-MENのビースト)、それを理由に家族から縁を切られたり(アイスマン)、挙句の果ては捕まって実験材料にされたりはしない。
ゲーム的な観点から
ゲーム的な──特にGMからの視点でいうと、通常ステージにおけるオーヴァードの立ち位置の方が、シナリオの引きを作りやすい。「正体を隠さねばならない」という制約があるため、ホットスタートにしたり、組織(UGN)に所属することが半ば強制されるため、組織からのオファーでシナリオへの導入を行うことが比較的簡単にできるからだ。
レネゲイドウォーステージにおいては、少なくともサプリを読む限り、自分から能動的に事件に関与する必要性が通常ステージより高い。アベンジャーズのスパイダーマンや、バットマンのような立ち位置だ。この場合、PC個人に対するシナリオへの「引き」、NOVAでいうところの「PS」を、シナリオ側で用意する必要が出てくる。PCが「興味がないから俺は知らないよ」と言ってシナリオに参加しない、という事態を防ぐためだ。セッションのハンドリングが一段難しくなる、とも言える。
物語的な観点から
物語的な観点だと、これは完全に私の好みだが「力ある者がそうでない者に自分の正義を押し付ける」というのが好みに合わないというのがある。いや、ダブルクロスはそんなゲームじゃない、という主張はよくわかるし、そうならないように注意を払ったサプリになっているというのはわかるが、しかし構図的にはそうならざるを得ない。
またレネゲイドウォーステージだと、構図は「ヒーロー対ヴィラン」であって、そこに普通の人間の介在する余地がない。一方、X-MENも通常ステージのダブルクロスも、基本の構図は「人間に対してどういう態度を取るか」に対する対立であって、そこでは常に人間の存在が意識されている。
これは完全に嗜好の問題だけに、結論を書き辛い……。恐らく、基本ステージでのプレイスタイルが網羅されてきたため、バリエーションの一つとしてプレイの幅を広げるためにこういったステージが用意されたのだろうけど……(もちろんマーベル作品のヒットも考慮して)。ただ、日本人って「他人のトラブルに自分から首を突っ込んで解決する」っていうプレイスタイル、成立しにくいように思うのは私だけだろうか。