よくある話だよね

「迷い猫オーバーラン!」小説版絵師変更に続き、漫画版が連載終了に


 これ思い出した。


気象精霊記問題


 この話を最初に聞いた時は、かなり寂しい気分になった。作品を知ったのは絵がきっかけだったけど、最終的には作品全体が好きだったので。でも、その後の推移(特に絵師の方)を見ていくにつれ、ついていけなくなった……というかどうでもよくなっていったというか。
 前にもちょっと書いたことがあるけど、漫画家が必ずしも絵が超絶上手とは限らないように(例えばこちら「20年ぐらい絵が上達してない漫画家。 「初期と全く同じキャラの絵じゃねーか!」」)、絵を描くのが上手いからといって話を作るのが上手とは限らない。この人も典型的なタイプで、想像力を喚起するような「物語を感じさせる」絵は綺麗でも「物語を読ませる」には説明が足りなくて訳がわからないまま話が終わってしまう。イラストならそれで許されるけど、漫画ではそれでは済まされない。イラストレーターとしての技術の高さがむしろ裏目に出てしまったのかもしれない。

 ところで、漫画家は一つ一つのコマの絵をいちいち微に入り細に入り描き込んだりはしない。伝えたいことが伝わればいいからだ。悪い言い方をすれば「必要なところ以外手を抜く」と言ってもいい(また、そうでないと連載なんてやってられないだろう)。
 そして、イラストレーターが漫画を描いて、またイラストに戻ってくると、これも裏目に出てしまうことがある。さっきの「物語」とは逆に、漫画はその場面で伝えたいことさえ読者に伝わればいいけれど、イラストは一枚の絵で全てを伝えなくてはいけない。何気ない小物とかちょっとした背景とか、漫画では不要でもイラストでは必要なことがある。私から見るとこの人の絵はまさにそれで、イラストとして必要なものを省略してしまったために魅力を減じてしまったように感じる。

 消費者というのは冷酷な生き物だ。
 優れたものを作り出せる人間ならば、放埒な言動や暴言が(人倫に外れた犯罪行為などは別だが)ある程度許容されることもある。作家も、漫画家も、音楽家も、歌手も、俳優も、声優もだ。
 しかしそれは、優れた作品を作っている間だけだ。そうでなくなれば掌を返すのが消費者だ──私も含めて。そうなって初めて、過去の言動の是非が問われることになるのだ。


 さて、今回の騒動は三年後、あるいは五年後にどのような結果を残すのだろう。関係者にとって不幸な結末でなければよいのだが。