まだ言ってるのか


「若者は夢を持つな」と監督が言った


 ツッコミどころ満載なんだけど、まずどうして攻殻のゴーストの定義について押井監督に聞くのか教えて欲しい。攻殻機動隊士郎正宗の作品で、作品内でちゃんとゴーストの定義がされている。ちなみにそこでされている定義は押井監督のそれとはまったく違う。「人形」にゴーストが宿るなんて士郎氏の思想の真逆。人形と人間を分ける最後の一線がゴーストだ、というのが原作の思想で、公安部のロボットはどれだけ人間くさく、赤い血を流したとしてもゴーストは存在しない。花や猫や犬にゴーストが宿るなんて原作のどこから引いてきた思想なんだ?*1

 「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作「機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析。


 パトレイバーはヘッドギアの作品。押井監督の作品じゃない。そして、前後が引用されてないんでよくわからないんだけど、これ押井監督が「イングラムのデザインが格好よすぎて非実用的だから最後まで反対した」って過去のエピソードを鑑みると、どう考えてもパトレイバーのデザインディスったってことだよね。
 押井監督はかなり前から、それこそパトレイバー2の頃から自分以外のヘッドギアのメンバーやパトレイバーの存在そのものを否定している。

 本作は押井と出渕が袂を別つ直接のきっかけとなった。元々パトレイバーの原案を立ち上げた出渕とゆうきの両者に対して、メカデザインの観点などから押井は不満を持っていたが、製作中に出渕のデザイン提出が遅れた際に、ついに感情をぶつけ、「お前やゆうきまさみは、要するにレイバーが宇宙でドンパチやるようなものをやりたいんだろ!」との侮辱的な発言をしてしまい、電話口での大喧嘩となったという。以後、押井は出渕のデザインを酷評しており、押井が監督を務める作品について、出渕が直接スタッフとして関わったものもない。『WXIII 機動警察パトレイバー』でも、押井と伊藤は作品に関与しなかった。当時から10年以上経過した現在においても、押井は出渕について「(時間がたってお互いに落ち着いた今となっては)友人としてならあるかもしれないが、仕事のパートナーとしてはあり得ない人物」との旨を述べている。Wikipediaより

 ゆうきと出渕が考えていた警察用レイバーのイメージは「その姿を見ただけで犯罪者が圧倒されるようなもの」であり、これがイングラムの「見る者に与える心理的影響まで考慮してデザインされた」という設定と劇中における実際のデザインにも繋がっている。一方、押井が考えていたのは「風呂釜に手足をつけたような機械」である。押井はレイバーをあくまでギミックとして捉えており、主役のレイバーをロボットものにありがちなヒロイックなデザインとすることに不服であった。いかにも建設機械然とした作業用レイバーのデザインには、こうした押井の温めていたイメージが反映されている。Wipipediaより。

 押井の「今更パトレイバーなんて、やりたい人が勝手にやれば良い。第二小隊の面々は既に描ききっているし、自分はもはや興味が繋がらない。」という考えに同調する立場をとった。Wikipediaより


 しかし、自ら否定したパトレイバーの関連作品に最後まで、現在に至るもこだわり、かつてのファンを半ば騙すような形で小説を売りつけてるのが監督自身だというのは皮肉だというしかない。


番狂わせ 警視庁警備部特殊車輌二課

番狂わせ 警視庁警備部特殊車輌二課


 この本、パトレイバー好きは絶対に読まないほうがいい。作品の形を借りて「俺はパトレイバーなんて嫌いだ」と監督が愚痴るのが聞きたいという奇特な人以外は。

 作者が本書で書きたかったのは、「サッカーに関するウンチク」である。 これ以上でもこれ以下でもない。ただし、押井守がサッカーのウンチクを書いても全く売れないであろうから、パトレイバーという世界観を被せて売れるようにしたのである。
実際、本書は売れている。私のように、パトレイバーの続編に期待して買った方も多いであろう。そして私のように失望感を味わった方も多いであろう。
「この屈折、ウンチクが押井守なのだ」という方がいる。そうなのかもしれない。よく調べないで買った私が悪いのかもしれない。ただ、私はパトレイバーの続編が読みたかったのだ。残念である。アマゾンレビューより。


 押井監督のオリジナル作品は売れない。だから原作を引っ張ってきて自説を主張する。作品を面白くするためであればクリエイター同士の相克があっても一向構わないが、いちいち原作のテーマを否定して正反対の主張をしたり、原作と違うことを言ったりするのは何故なんだろうか?*2 パトレイバーに訴えかける核がないというのなら、原発騒動に絡めてまでかつて仲間たちと作った作品を否定したいというのなら、自分だけで作ったオリジナル作品で思う存分やればいいのに。*3
 私は劇場版パトレイバー2が好きだ。パトレイバーという作品全体も。それだけに、監督自らかつてのスタッフや作品を貶めるのを聞くと怒りを通り越して悲しい。貶めてなおその作品を利用しなければ口に糊せないというのなら、なおさらだ。


 ちなみに、この記事を書いた方は多分ご存じないだろうが、押井監督が「オタク産業は間もなく滅ぶ、もうすぐ滅ぶ」とコミックマスターという雑誌ののインタビューで答えてから、もう15年が経過している。そういう人物に未だにコメントを求めるということ自体、マスコミのアニメというものに対する捉え方がどういうものかを如実に示しているのかもしれない。

*1:だから、原作を好きであればあるほど「イノセンス」は「ありえない作品」ということになる

*2:例えばここでもその辺の話が読める。ゆうき氏が作った野明とか出淵氏の香貫花に向かってあれやこれや。でも伊藤氏が野明描けてない、ってイノセンスだってバトー全然描けてないじゃない?

*3:これはパトレイバー攻殻に限った話ではなく、うる星やつらでも同じことをやって高橋氏をブチ切れさせたことがある。