いつかこれが来ると思っていた

忍者増田、ついに『ウィザードリィ』を語る! 「シビアな戦闘」と「キャラ育成」が魅力


 忍者増田氏がレゲーのコラムを書く以上、いつかこのネタは来ると思っていた。その日のために追いかけていたようなものだ。


 誤解のないように、あらかじめお断りしておく。私は、忍者増田氏を始めとする、日本のWizフリークの方たちが、黎明期のウィザードリィに果たした役割は計り知れないと思っている。彼らがいなければ、エルミナージュも、もしかしたら世界樹も生まれなかったかもしれない。その意味で、私は彼らに非常に感謝しているし、彼らの功績は高く評価されるべきだ。
 ──しかしその功績には、常に光と影が付きまとう。その「影」の部分について、いつかは書かなければならないと思っていた。




(以下、かなり辛口になるため、苦手な方はここで回れ右してください)










ウィザードリィ』の魅力その1、シビアな戦闘! 本作での戦闘の緊張感は、当時のRPGの中でも群を抜いていました。

 『ウィザードリィ』の戦闘では、そんじょそこらのRPGでは味わえないシビアな緊張感を楽しむことができるのです。


 ウィザードリィの魅力というと、いつもいつもこれが語られる。こうして伝道師の一人が今なおそう語るのが何よりの証明だ。しかし、ここでいう「当時のRPG」とはなんだろう? ドラクエ? FF? ──違う。本来これと並べて語られるべきは、同じPCゲーム黎明期のRPG、すなわちマイト&マジックブラックオニキス夢幻の心臓あるいはザナドゥといったゲームであるはずだ。
 今のゲームの難易度が低いのは、それは当たり前だ。ゲームの下地になる文化が違う。逆にいえば、上記のようなPCゲーム黎明期のRPGは、どれも難易度が高い。その中で、特にウィザードリィだけが群を抜いてシビアだっただろうか? 私にはそうは思えない。

 もちろん、これはただの私の主観だ。しかし、裏付けとなるデータもある。「シビアな緊張感」がそれほどの魅力なら、同じウィザードリィ型のゲームの中でも、より難易度が高く、よりシビアな方が人気があるはずだ。しかし、実際はどうだろう。ユーザーフレンドリーなエルミナージュ2と、ユーザ向けの機能を大幅にカットして「不便」にしたエルミナージュゴシックは、どちらが人気があっただろうか?


 なお、2点目の「キャラ育成」について、転職ができることが魅力とも語っている。それそのものは否定しない。しかし、この記述──

ちなみに本作には、キャラ育成のための経験値稼ぎの手段として、「グレーターデーモンの養殖」ってやつがありましたね。これは、グレーターデーモンの仲間を呼ぶ習性を利用した秘技で、拙者も当時挑戦したことがあります。


 これも、1点目の「シビアな戦闘」に力点を置くなら「経験値の高いモンスターを増殖できること自体が邪道」であり、魅力を減じる要素であるはずだが、そうは語られていない。
 また──

高レベルの魔法使いを盗賊に転職させれば、攻撃呪文を使える盗賊のできあがり。時間をかければ、魔法使いと僧侶の全呪文をマスターした忍者なんかも作れちゃいます。転職でマルチな能力を持つキャラクターを育成できるのも、『ウィザードリィ』の醍醐味のひとつなのでござる。


 これについても、もしそれが本当なら、和製ウィザードリィの最後期(アスタリスクなど)にあったような狂戦士や全能者なんてクラスが追加されたり、あるいは召喚士など新クラスが追加されればその都度大人気になりそうだが、そうもなっていない。


 何を言いたいかというと、増田氏が挙げている「魅力」の前に、大前提となる「条件」があるのだ。当たり前すぎて挙げていないのかもしれないが、後続の作品の多くがそれを備えていないがためにゲームとしての魅力に欠ける。ゆえに、私はその「条件」こそが「ウィザードリィの魅力」として重要なのだと考えている。
 まず「ゲームバランスのよさ」だ。ウィザードリィのゲームバランスはシビアだが、破綻してはいない。後続の作品の多くは破綻している。だからウィザードリィの真似をしようとしてできていない。ウィザードリィにバランスが重要であるということは、ベニー松山氏が前に語っていたとおりだ。
 次に、そのゲームバランスのよさを前提とした「自由度の高さ」だ。一度レベル上げに苦労したら、あとはグレーターデーモンの増殖で稼いでもいい。一回踏破したダンジョンなら、マロールで途中をすっ飛ばしてもいい。玄室を一マス一マス全部埋めて歩かなくてもいい。ワードナの首を刎ね飛ばしてもいいし、呪文で側近ごと焼き殺してもいい。今でいうオープンワールド的な魅力といってもいいだろうか。
 先ほどの狂戦士や全能者なんてクラスは、「キャラ育成」にとってはプラスでも、この「自由度の高さ」に反する。強力すぎて他のクラスを選ぶ理由がなくなってしまう。よって、強制的にそれらを選ばされているのと同じだ。


 ここまで書いてきたことは、これまでのコラム記事へのコメントと違い、増田氏との好みの違いとか、主観の違いといったレベルに収まる話ではない。散々例で上げたように、伝道師の方々──もちろん、全ての責が増田氏に帰するわけではないが、このとおり今もなおウィザードリィについて発言しておられるので、代表として槍玉に挙げさせてもらった──が、ウィザードリィの魅力として、増田氏の挙げるような4点を挙げるため、後続の製作者たちがウィザードリィの魅力を勘違いしてしまった。その結果生まれたのがウィザードリィサマナーであり、ウィザードリィアスタリスクであり、生命の楔であり、ウィザードリィオンラインであり、ウィズローグといった鬼子たちだ。その点について、両者に全く関係がないとするのも無理があるだろう。言うまでもなく、第一義的には勘違いしたその当人たちこそが悪いのだが……。
 戦闘はシビアにしたけど(クトゥルフを持ち込んでまで!)バランスは取らなかった。キャラ育成に転職システムは用意したけど自由度は全くない。その結果「ウィザードリィらしさについては議論しない」と嘯くような製作者が生まれた。私は、これは悲しい勘違いの結果だと思っている。正しく理解していた人もいたはずなのに、注目を浴びなかった。その結果が「ウィザードリィの版権はもはや呪いのアイテム」とまで言われてしまうような惨状だとすれば、何ともやりきれない。