書いたつもりだったんだが……

人が廃課金に堕ちていく仕組み『廃課金四姉妹』ガチャ爆死経験者必読、きっと泣いてしまう


 私はこの作品は全く読んでいない。作品についてじゃなくて、記事を読んで感じたことを書く。今までのエントリでどこかに書いたつもりだったけど、検索しても出てこなかったので。

「ソシャゲのガチャ課金はもったいない」という意見に対して「映画とか食事とか、形の残らないものにお金をかける娯楽は他にもある。ソシャゲだけの話ではない」という反論をする人がいる。例えばこことかこことか。


 私は、これは悪質な論理のすり替えだと思っている。


 ガチャ課金の問題は「形が残らない」ことではない。純粋に価格が並外れて高価であること(もちろん期待値で計算した場合)、そしてその“本当の”価格を、ガチャという形で消費者に意図的に錯誤を起こさせ、資金を回収しているという点だ。対象がデータであるか実体物であるかは関係ない。
 例えば、レストランに行って「サイコロ振って2回連続1を出さないと食事が出てきません。一回振るのに100円」という店があったら、入るだろうか?
 あるいは、こうも表現できる。一回のガチャの金額を、手に入れたい対象の入手率で割る(これをやられると困るから排出率を公表しないのだろう)。1回のガチャが300円として、対象のキャラの入手確率が0.007%(両方ともグラブルの数字である)だとすると、期待値は4,285,714円。ゲーム内ショップでこの値札がかかっていたら、それでも課金するだろうか。

 私は自分の運を信じていない。扶桑や山城よろしく「不幸だわ」と嘆くほどではないが、運がいいとも思っていない。だから、ガチャを回し出したら期待値まで課金しなければ目的のものは入手できないだろうと思っている。だからガチャ課金はしないと心に決めているのだ。一度でも課金すればこうなるだろうことは目に見えている。


人はなぜスマホゲームに課金をするのか?〜無課金だった私が課金の泥沼にはまっていった話〜