祖父から父へ、そして息子から孫へ


 私はむしろ、過去の説の方に一票かなぁ。プリクエルのエピソード1の状況だと、アナキンはフォースそのものが生み出した存在だ、という風に私は思っていた。
 私がそう考えた理由としては、キリスト教圏の人たちがシミ・スカイウォーカーの処女懐胎っていう話を聞いたら、まず聖母マリアのエピソードを想像するだろうと思ったから。シミがマリアであれば、息子のアナキンは自らの身を犠牲にしてフォースにバランスをもたらす、イエス・キリストに相当する存在。そして、クリスチャンの人たちがいう御霊とか聖霊を、フォースになぞらえているのかな、と。本当のクリスチャンの人たちがどう感じたかはちょっとわからないけれど。
 それが、プリクエルが2とか3とかに進んでいくにつれて、アナキンは自己犠牲的というよりは自分勝手で、滅茶苦茶俗物だし、他人を救うために苦悩するなんて発想も全然ない人物だということがわかってくる。そうなるとイエス・キリストのイメージは全くなくなるし、実は父親はパルパティーンだという説が説得力を増してくる、って感じなのかも。確かにジェダイ評議会が肉親の情を否定するのに対して、2と3のパルパティーンはすごくアナキンに対して父親的に振る舞ってはいる。
 ただ、これが明言されない理由もなんとなく想像はついてしまう。実はパルパティーンがアナキンの父親で、という話になると、それってスターウォーズ4・5・6と同じことを繰り返してるだけじゃない、ってなっちゃうんだよね。だからあえて明言を避けたんだろうし、それで正解だったと思う。