枯れた技術の水平思考


ゲームの父・横井軍平伝  任天堂のDNAを創造した男

ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男


 故横井軍平氏にまつわる著作を読んだ。こういうエンジニアの伝記を読むのは、私がスティーブ・ジョブス嫌いになるきっかけになったギル・アメリオの「アップル薄氷の500日」以来かもしれない。

 横井氏がゲームウォッチ開発の中心人物だったことは知ってたけど、ゲームボーイ開発に携わっていたとは知らなかった。さらに言えば、ゲームウォッチゲームボーイの開発者が同じで、ファミコンの開発者が違う人だとは思わなかった(ファミコンゲームボーイは同じ開発ラインの製品だと思っていた)。
 前にも書いたかもしれないが、私はファミコンを持っていなかった。初めて買ったゲーム専用機はゲームボーイだ。その私にとって、ゲームウォッチの開発からゲームボーイの開発に至るくだりは、とても興味深かった。

 そもそも、なぜゲームウォッチが「ゲーム&ウォッチ」だったのか、どうして時計機能がついていたのか。今までさっぱりわからなかったが、この本で疑問が氷解した。
 ゲームウォッチの時計機能は、大人の、あるいは子供の親の購買意欲を後押しするためにあるのだそうだ。つまり「うーん、ゲームしかできない機械に○○円出すのもなぁ…」という人や、「どうせすぐに飽きるでしょそんなゲーム」という親の財布の紐を「でも、時計機能もついてるよ。ゲームしなくても時計として使えるよ」と緩めるためにあるのだと。
 うわぁ。「これはゲーム機じゃないから勉強にも使うよ!」といって親にMSXを買わせた私としては胸が痛くなるエピソードだ。

 さらに、ゲームボーイ開発の経緯も面白い。当時既に開発されていたカラー液晶があったにも関わらず、横井氏はそれをゲームボーイに採用しなかった。理由は「電池の持ち時間が短すぎるから」。ゲームギアやPCエンジンGTも持っていた私には、実感としてよくわかる。例えばPCエンジンGTは単三電池6本を使用し、それでも3時間ほどしか電源が持たないというとんでもなく大食いのゲーム機だった。いや、それでも私はこういうおバカな機械が大好きなのだが、さすがにこの仕様では世界で1億台以上も売れないだろう。
 
 もう一つ、横井氏はさすがだったと思わせるエピソードがある。ゲームボーイの開発にあたり、コストや部品数などを少なくするため、不要な部分は徹底的に排除された。にも関わらず、発売当初使用する目処がまったく存在しなかったパーツがなぜか搭載された。通信ケーブル用コネクタだ。
 なぜ使用する予定がないのに搭載したのか、本人に聞いても漠然とした答えしか返ってこなかったという。
 著者は語る。横井氏にとって遊ぶということは「どこかで、誰かと」するものだったので、通信のためのツールを付属させることは「当たり前」すぎて、あえて理由を語ることができなかったのではないかと。
 その判断が正しかったことは、ゲームボーイが衰退しかけた頃にモンスタータイトル「ポケットモンスター」がリリースされたことで証明された。
 インベーダーゲームゲームウォッチから続くゲーム機の流れは、ファミコンで人々を自宅のテレビの前に釘付けにした。それをまた、外で誰かとやる遊びへと進化させようとしたのが彼だったというのだ。

 横井氏の失敗作品として有名になってしまったバーチャルボーイ。この本では、どうしてバーチャルボーイが失敗するに至ったかも丁寧に追っている。横井氏が当初思い描いていたように、バーチャルボーイが出先でサングラスのように簡単にかけられるような設計だったなら、あそこまでの失敗はしなかったのかもしれない。ただ、一人用のバーチャルボーイは「誰かと遊ぶ」という氏の理念とは少し離れたゲーム機かも知れないとこの本は分析している。

 しかし、今やゲームボーイの流れを汲む携帯用ゲーム機が据え置き機を上回り、ファーストフードや喫茶店でwifi通信しながら協力プレイに興じる子供たちの姿も珍しくなくなった。
 ニンテンドーDSは、ゲームボーイカラーからCPUがほとんど進化することなく、発売当初は売れるかどうか危ぶまれていながら、ゲームボーイをも上回り世界で最も売れたゲーム機となった。その思想の根底にあるのが横井氏の「枯れた思想の水平思考」であったことはいうまでもない。そして、次世代のDSは皮肉にも、バーチャルボーイと同じ、立体視を売りにしたゲーム機となるという。
 横井氏のビジョンが早すぎたのか、それとも時代がやっと追いついたのだろうか。

 彼が危惧したとおり、ゲームは画質や処理速度を追い求めていった結果、開発費は年を追うごとに膨大になり、売れても赤字という逆転現象を招くようになってしまった。
 56歳の若さで自動車事故でこの世を去った横井氏がもしまだ生きていたら、今のゲーム業界をどのように俯瞰しただろう。