同じドラクエ7のキーファ離脱イベントで、二人とも怒っていることに違いはないんだけど、その理由が微妙に違っているのが二人の性格の違いを表しているようで興味深い。
二人とも「お前が始めた物語なのに」というところに憤っているのは同じだが、ルイは「キーファが、決まった相手がいるのを奪った」のを主に問題視しているのに対して、ベルモンドは「離脱することに最後まで責任を取らない」(近親者へ知らせるのを主人公に押し付けた)のを問題視している。私はどちらかといえばベルモンドの意見に近い。PS1時代は今と違ってDQよりFF派だったので、ソフトも持っておらず、あくまでも実況を見た範囲での感想になるが。
個人的には、キーファを見ているとバハムートラグーンのヨヨを思い出す。どちらも「ストーリー上の目的より自分の恋愛を選んだ」という点が共通しているからだ。しかし、二人の人格がどうこうというより、主人公の置かれた状況についていえば「キーファの方がヨヨよりはマシ」ではないだろうか。
キーファは「ストーリー上の目的より恋愛を取った」、主人公と道を違えた時点でパーティを抜けた。その選択に思うところはあっても、それ以降お互いの人生に干渉することはない。しかしヨヨの場合は、主人公と道を違えたにもかかわらず、その後も同じ陣営で行動することを強制される。主人公が必要とされるならヨヨとパルパレオスは陣営を去るべきだし、逆にヨヨ自身の能力が事態の打開に不可欠なら、主人公には去る選択肢が与えられるべきだ。ヨヨを助けるという以外にこれといってモチベーションが見当たらない物語だったからだ。
そして、キーファが妙に印象に残るというか、プレイヤーの心に棘を残す理由は、こういう人間が実際に存在するからだと思う。自分が発起人で物事を始めておきながら、個人的な男女間の事情を優先し、始めたことを放り出し、残った人間に後始末を押し付ける人間。DQ6ではキーファはパーティを離れ、その後登場しないが、現実世界のキーファのような人物は往々にして、後から「俺が始めたあれはその後どうなった?」などと首を突っ込んできたりする。「それはもうあんたには関係ないだろう」と言われてもお構いなしだ。そう、最大の問題は、現実世界のキーファは自分をキーファだと気付いていない、という点なのだ。
それにしても、DQWを始めてから、過去のDQの復刻イベントがちょくちょく開催されることから、過去作に関連する情報に触れる機会が増えた。あの頃遊んでおけばよかったと後悔しているわけではないが、こんな面白い作品だったのかと驚かされることがしばしばだ。やはり食わず嫌いは良くない。