もう一人のピコピコ少年の思い出(4)


 以前、アーケード版のイー・アル・カンフーについてちょっと触れたと思う。私があのゲームに出会ったのは、この「チャイニーズヒーロー」というゲームがあったからである。といっても、カンフー物が好きだったとかそういう意味ではない。
 当時、私の通っていた学習塾のそばに、このゲームの筐体の置いてある駄菓子屋があった。正確には、最寄の駅から塾までのルート上に存在するアーケードゲームはこれしかなかった。そして、駄菓子屋の店頭ゲーム機にありがちな話だが、環境は劣悪だった。立ったままでプレイするしかない上に、歩道にはみ出さないと筐体の前に立てない。
 ただしその分、1プレイの値段は安かった。そのため、その塾に通っている子供たちの間では「このゲームは低学年の塾生向け」という暗黙の了解があった。それはもちろん、高学年になったら勉強に集中しろという意味もあったのだろうが、私のようなゲーム好きはこう受け取った──「別のゲーム機が置いてある場所を探せ」。
 イー・アル・カンフーが置かれていたのは、むしろ隣の駅に程近い、それも住宅街にぽつんと存在する穴場のような駄菓子屋だった。しかしそこにはちゃんと椅子があって、常連たちがたむろしていた。まるで秘密基地のようなその場所に、私は何度も通いつめた。今もう一度そこに行けと言われても、たぶん辿りつけない。淡い思い出である。


 逆に、私はこのチャイニーズヒーローというゲームには思い出がほとんどない。塾生たちが遊んでいない時間帯もあったはずだが、手を出した記憶がない。遠くまで足を伸ばさなければ遊べなかったゲームの記憶が鮮明に残り、いつでも手の届くところにあったはずのゲームの記憶がないとはなんとも皮肉な話である。