創造主の末路

 昨日の続き。












 私がここまで憤るのには理由がある。昔の恥を晒すようなものだが……。


 人は、全く理解不可能、完全に異質な思考には、自分に被害でも及ばない限りは怒りを覚えない。怒るのはその思考が悲しいかな理解できてしまうからである。そう、私もかつて、ずっと昔「儚くも美しい」幻のファンタジーに憧れていた時期があった(もちろん、今にして思えばそれは、厨二病みたいなものである)。D&Dソードワールドですら「コンピュータゲーム的」に見えていたその頃の私は、もっと“幻想的なRPG”を求めてあちこちを探し歩いた。

昔話をしよう

 今から25年以上前の話。私は平凡な人生にあって数少ない「冒険」をしたことがある。


 当時、今のように書店が書籍型のTRPGを扱うことなど少なかった時代。ある時私は、ホビーショップの片隅で「ローズ・トゥ・ロード」というゲームのエキスパンションセットを見つけた。まだボックス型のTRPGが数タイトルしかなかった頃、ローズ・トゥ・ロードの頑丈なボックスにはルールブックと魔法カードが梱包されていた。カードで処理される魔法は、発動するまで「何が起こるかわからない」、まさに魔法の神秘を表現するものだった。私はまだ見ぬ世界への期待に胸を躍らせたが、拡張セットだけではゲームができない。私は店主に基本ルールセットの所在を問うたが「在庫はない、版元絶版のため取り寄せもできない」と告げられた。できるだけ足の伸ばせる範囲で、ありったけのホビーショップ──いやそれどころか、おもちゃと名のつくものを扱う店を、心当たりのある限り手当たり次第に回ったが、結果は同じだった。
 今の私が同じ状況に置かれたら、この時点で諦めただろう。まだインターネットもアマゾンもない時代のことである。しかしその時の私は違った。何をとち狂ったのか、D&Dビギナーズガイドという本の巻末にあった「D&D関連アイテム取扱店一覧」を手にすると、近い順に片っ端から電話をかけ、在庫確認をするという暴挙に出たのである。返事があったのは静岡県のホビーショップだった。


 静岡県! 一人では20分かそこらしか電車に乗ったことのない私が……。


 「ゲーム買いに行きたいので静岡まで行く」なんて親に言えるはずもなく、塾の講習にかこつけて家を出た私は、迷わず静岡を目指した。ただ一つのゲームを求めて。奇妙なことに、私はその店の内装や、どこにゲームが置かれていたかは今もはっきり覚えているのだが、静岡のどこの駅で降りたのか、それから店までどうやって移動したか全く覚えていない。せっかく静岡まで行ったのだからついでに何かしよう、などという思考は微塵もなかった。私はその店でゲームを買うため「だけ」に静岡を訪れたのである。
 しかし、そこで無事ゲームを入手できたわけではない。店についた私を迎えたのは店主の詫びの言葉だった。電話の応対をした店員がよくわかっていなかったらしく(子供用おもちゃまで取り扱う店でTRPGのことを把握しろというのが無理な話だが)、店にあったのは基本ルールではない(私が持っているのとは違う)エキスパンションセットだったのだ。
「ふざけるな! 僕はわざわざこのゲームを買うためだけに東京から静岡までやってきたんだぞ!」と私は激怒──しなかった。
「このゲームには僕の知らないエキスパンションセットがまだあったんだ!」恐縮する店員を前に、私は小躍りして喜んだのを覚えている。

閑話休題

 とりとめもない昔話をしてしまったが、何が言いたいかというと、この時私が探していた「ローズ・トゥ・ロード」こそ、私にとっては「儚くも美しいファンタジーTRPG」の代表だった。いや、私がそう思っていたというだけではない。(少なくとも今日時点の記事では)Wikipediaにも「『ローズ・トゥ・ロード』は、「舞台となる背景世界”ユルセルーム”の幻想的な雰囲気を、いかに遊び手に感じさせるか」ということを主題においてデザインされているゲームである」という記述があり、ファンページなどでも似たような表現が使われている。内容を知る人にとっては「儚くも美しいファンタジー」を体現したTRPGだったのだ。


 ローズ・トゥ・ロードのデザイナーである門倉直人さんは、かのJ・R・R・トールキンのように、舞台となるユルセルーム世界を一から作ろうと考えていたようである。ユルセルームには、他のTRPGの背景世界同様の神話やNPCの設定だけではなく、言語や暦、そこに暮らす人々の生活習慣から、そこに存在する軍隊の編成に至るまで、詳細な設定が存在する。そして、ローズ・トゥ・ロードにおけるPCは運命によって冒険にいざなわれた、様々な人々である。その点は、今でいう深淵やブレイドオブアルカナに似ている。──いや、ブレカナや深淵がローズ・トゥ・ロードに似ているというべきだろう。このローズ・トゥ・ロードこそ、ソードワールドよりもロードス島戦記よりも早く生まれた、日本で一番最初に発売された国産ファンタジーTRPGなのだ。もちろん粗削りな部分はあったにせよ、どこかで見たファンタジーではない、独自の「世界」を作ろうという気概は少ないページの随所から感じ取れた。
 そして、ローズ・トゥ・ロードは、決してカルト的な人気を誇るだけのマイナーゲームではない。駅前魔法学園のデザイナーである藤浪智之さんの商業デビュー作は、ローズ・トゥ・ロードのリプレイ「七つの祭壇」である。そして、このリプレイをきっかけにTRPGを始めた人こそ、FEARの副社長、菊池たけしさんだ。その後菊池さんはローズ・トゥ・ロードの第2版「ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード」のリプレイと解説本を執筆し、藤浪さんはローズ・トゥ・ロードの第3版「ファー・ローズ・トゥ・ロード」のメインデザイナーとなる。今現在のTRPGシーンに大きな影響を与えた和製TRPGの黎明期の名作、それがローズ・トゥ・ロードなのだ。


 寄り道が非常に長くなってしまったが、本題に戻ろう。ローズ・トゥ・ロードの第4版、リメイク版ローズ・トゥ・ロードにおいて、バルナ・クロニカのデザイナーである小林正親氏はサプリメントやリプレイの執筆者として制作スタッフに名を連ねている。そう、彼は「儚くも美しいファンタジー」TRPGの一番近くにいた人間なのだ!
 もちろん──リメイク版のローズ・トゥ・ロードが発売された時の状況は、初版が世に出た時とそれとは違った。昔のように、TRPGは作れば売れるという時代ではなくなっていたからだ。リメイク版ローズ・トゥ・ロードは数作のサプリメントを発売して展開は途絶え、今はWローズ・トゥ・ロードという別のシリーズとなっている。


 だが、小林氏の新作を聞いた時、私は驚いた。まるで、ローズ・トゥ・ロードブレイド・オブ・アルカナを足して4か5で割ったようなゲームだったからだ。とはいえ、ことTRPGにおいては他の作品を参考にし、そこに新たな要素を付け加えて新作を作ることそれ自体は責められるべきことではない。古くはルーンクエストとルナルサーガから、2020とNOVA、TORGとカオスフレアなど、コンセプトの類似したゲームは枚挙に暇がなく、それらのいくつかは確実に名作と呼べるタイトルになっている。
 ローズ・トゥ・ロードの制作に関わったことで彼が何かを掴み、新作ローズの制作には携わらなかったものの、彼なりの「儚く美しいファンタジー」を追い求めようと決めたのなら、それは悪いことではないと私は思った。
 しかし、彼の執筆したリプレイや雑誌の連載記事を読むにつけ、段々私は不安を感じてきた。彼が作品で目指すように見えた方向と、実際に進んでいる方向がズレてきている気がしたからだ。


 そして、最後の最後に不安は的中し、この有様というわけだ。
 まさか、ローズ・トゥ・ロードの制作に関わった人間の口から、ファンタジーを消費したなんて言葉を聞くとは思いもしなかった。彼は「儚くも美しいファンタジー」を、それも他人が作り、たくさんのファンもいる世界に関わっておきながら、これを「いじり、食い潰した」と嘯き、しかもそれを他の「同世代の作者」たちにまで責任転嫁した。


 つまり、彼は“昔”私が愛していたものを手ずから滅茶苦茶にしたと称し、しかもその責任を“今”私が尊敬する人々になすりつけたのだ!


 これに怒らずに何に怒るというのか!