いわゆる一つの思考実験


 さて、昨日書いたエントリについて、ちょっとした思考実験をしてみる。あの記事を本当にTRPGのシナリオソースとして使う人が使う人がどれだけいるかは知らないし、そもそも執筆者がそれを本当に想定しているのかいささか疑問があるけれど、もし本当にTRPGに使うとしたら……? という、仮定の話である。


 まず最初にやるべきことは、タイトルを特定することだ。どんなゲームにも使える汎用のアイデアなどというものは存在しない。どんなシナリオのアイデアも、別のシステムへの翻案というプロセスを経ない限り、特定のシステムのために存在するものだ。
 というわけで、キリスト教カタリ派に関するR&Rの記事を元にシナリオが作れそうなシステムを考察してみると、なんとこれが驚くほど少ない。執筆者がそれに気付いていたかどうかは知らないが、なんとファンタジーTRPGの最大手、D&DとSW2とアリアンロッドが全て外れてしまう。要するに「このネタではシナリオにならない」のだ。

D&DとSW2の場合


 一つ一つ解説しよう。まず、D&DとSW2(1も同様)。正直言って、この2タイトルは「論外」レベルである(申し訳ないが私はD&Dの4thを持っていないので、3rdもしくはそれ以前の話をさせてもらう)。


 例えば、記事で例に挙げられている“淫蕩にふける邪教団退治を依頼されたが依頼側の偏見であり、実態は単なる自然崇拝者たちだった”あるいは“邪教と思われた僧侶たちと、放浪の吟遊詩人たちが、盗賊ギルド的なネットワークを形成していた”というネタを生かしたシナリオを作るためには、まず「既存宗教の教義を別解釈した別派閥の宗教集団」が存在する必要がある。そして、それをあたかも「邪教」であるかのようにミスディレクションするところが、このネタの肝だ。
 ところが「既存宗教の別派閥」を「邪教」に誤認させることが、D&DやSWでは不可能なのだ。なぜか。D&Dにおけるクレリックレベル1呪文「ディテクト・イーヴル」、SW2のプリースト2レベル呪文「ディテクト・フェイス」あるいは特殊神聖呪文「サーチ・バルバロイ」。これらの魔法の存在のため、上記のゲームでは「邪悪と勘違いされているが実は善」という情報は一発でバレるのである。これが逆の場合、「善のふりをした邪悪」は、恐らく敵であろうからレベルを高く設定しておけば呪文を弾けるが、このネタにおける「実は善」は「実は一般人」をやりたいわけで、どう考えても高レベルになり得ず、探知呪文を弾けない。
 実は私自身、ずうっと昔に似たようなことをやらかしたことがあるのだが、恐らくこれをネタにしてシナリオを作れば、導入の時点でクレリックのプレイヤーは真っ先に「ディテクト・イーヴル」を使うことを考えるはずだ。使われた瞬間、このシナリオは半分終わってしまうのである。
 もし「これらの探知呪文をいかに使わせないかがネタなのだ」というのであれば、そこを記事にしないとシナリオとしては使い物にならない。その部分が一番DM、GMが困る部分だろうからだ。

アリアンロッド、その他の場合


 また、D&DやSW2、アリアンロッドに共通する問題として次のようなものがある。
 これらのファンタジーTRPG──いや、世にあるほとんどのファンタジーTRPGがそうなのだが、キリスト教的な唯一神教ではなく、ギリシャやローマ、北欧神話のような多神教の神々を扱っている。そういった世界設定で、果たして「現に実在する邪悪でもない神について、既存のそれと別の解釈を採って信仰することが異端になるのか?」という疑問がある。カタリ派を異端としたのはローマ・カトリック教会であり、その判断には宗教の歴史が大きく関わっている。そもそも「異なる神」を信仰する者ですら(邪悪なる神に仕えているのでない限り)攻撃対象としない世界なのに、同じ神を信仰していながら解釈が違うというだけで迫害の対象になり得るのか?
 もちろん「ミーヴァルを信仰する邪教の村と思っていたら実はアーケンラーヴ信仰の村でした」とか「ダルクレム信仰の村だと思っていたら実はライフォスの〜」とかいう展開はありだろうが、それだと単なる勘違いというだけで「元ネタの異端信仰の話はどこ行った?」となってしまう。


 つまり、このシナリオアイデアを成立させるためには、前提条件として「唯一神信仰か、あるいはそれに近い信仰形態が登場する世界設定を持つTRPG」でなければならないという前提条件があるのだ。これは非常にタイトルを選ぶ。そのことに一言も触れていない時点で、この記事の執筆者が実際にこのネタをTRPGのセッションで使ったことがあるかどうか、つまり記事の「実用性」にはいささか疑問符をつけざるを得ない。本気でやろうとすれば私程度の知識と経験でも簡単に気付くことだからだ。
 とはいえ、現実世界に近いからといってこのネタを現代物のTRPGに持ってくるのは危険な行為だと思う。少なくとも私はお勧めしない。理由は「適切な配慮」のためである。

ブレイド・オブ・アルカナの場合


 というわけで、私が思いついたタイトルはブレイドオブアルカナである。ブレイドオブアルカナは22のアルカナ、つまり神を奉じる多神教の世界であるが、使徒マーテルが特別な存在とされており、マーテル信仰がいわゆるキリスト教に相当する、中世ヨーロッパ的な世界である。シニストラリック(旧教、カソリック)とウェルティスタント(新教、プロテスタント)まで存在するこの世界であれば、シナリオのネタに使えそうだ。

シナリオフック「信仰の行く末」

 PC1(マーテル、旧教でも新教でもよい)の元に、とある教区の司祭がやってくる。自分の教区に、人知れず魔神を奉ずる村があるという。「魔神信仰の拠点を叩き、教区に真の信仰を取り戻してほしい。司祭自身が赴こうとすると彼らはそれを察知して姿を晦ましてしまう。PCたちに何とかしてもらいたい」という依頼だ。
 ところが、PCたちが現場に赴くと、それは魔神ではなくれっきとした唯一神アーと使徒マーテルを奉ずる村であった。とはいえ、その信仰は今の旧教とも新教ともかけ離れたものであり、教会の教えには合致しない(アルカナもマーテルでなくオービスにしておくと違いが際立つ)。彼らは旅の吟遊詩人(ウェントス)の協力を仰ぎ、司祭の動きを監視することで教会の手を逃れていたのだ。ここでPC1は葛藤するかもしれない。村をそっとしておくべきか、教化するべきか。
 しかし、そんなPCの前に依頼者の司祭が姿を現す。後を尾けてきたのだ。彼の真の目的は村の教化ではなく、村に古くから伝わる聖痕の力の秘密と、吟遊詩人の、そしてPCの聖痕である。

「捧げよ聖痕、今宵は殺戮の宴なり」

 ──はたして、殺戮者を打ち倒した後、PC1はいったいどうするのだろうか? その決断の結果を演出してエンディングを終わる(どちらが正解というのはない。PCが選んだ方が正解だ)。


 実はアルシャードでも似たようなネタを思いついたのだが、ネタの関係上どうしてもPCが帝国兵にならざるを得ず、ヴァーレスライヒ未導入の新版では再現不可能なので今回は割愛する。