蘇生の話(後編)

 この間の話の続き。

 TRPGの話に戻ると、ソードワールドには「レイズデッド」に相当する「リザレクション」の呪文だけがある。恐らく、フォーセリアの世界設定上、PCの死に対するペナルティを重めにしたいというデザイン思想が働いているのだろう。火竜山のオルソンやバブリーズのグイズノー、クリスタニアカルーアなど、PCの蘇生そのものがキャンペーン内で重要な要素になることも珍しくない。ただ、ロードス島戦記の「魂の水晶球」の効果は、ウィッシュとまではいかないまでも、レイズデッドフリーくらいには匹敵しそうだが……。

 ソードワールド2.0については過去に言及したのでここでは言及しない。

 また、これも前に書いたとおり、FEARのゲームのほとんどは死者を蘇らせることはできない、という思想に基づいているため、蘇生の呪文そのものがない。
 
 では、FEARゲームにおいては一切復活は認められないかというと、私だったら「効果に見合うリソースを支払っている」「プレイヤー全員のコンセンサスが得られている」「直前に死亡したPC、NPCである」かつ「生き返らせてもキャンペーン、シナリオ的に問題ない」くらいの条件が揃うのなら生き返らせてもいいと思う。ガイアやネメシスを支払うというのはそれくらい大きなリソースだ。「コンセンサスが得られている」については説明するまでもないだろう。「直前でないとダメ」というのは、そのPC/NPCが死んでいることを前提にストーリーが進んでいたり、ゲーム内の各種リソースが支払われた後で復活を認めると色々とややこしいことが起こりかねないからだ。「生き返らせてもシナリオ的に問題ない」というのは、そのNPC(この場合PCは少ないだろう)の死がシナリオの展開そのものに必須だったりすると、復活を認めるとシナリオが進まなくなるからだ。推理小説で被害者を復活させることをイメージするとわかりやすい。そういう意味では、シナリオ中に設定されているNPCの死は、シナリオ上の必然であることが多いから、死んだNPCを復活させられるのは「シナリオの結末部分だけ」と言ってもいいと思う。
 お気づきと思うが、これはどちらかというと復活を認めているというより、死を回避するのを認める、と言っているのに近い。まぁ、FEARゲームで復活を安易に認めると、経験点チケット制とかが崩壊してしまうし……。
 例外は、ブレカナの特殊因果律「王権の貝殻」。これを使うなら、いかなる復活を認めてもいいと思っている。もちろん、王権の貝殻で願いを叶えようというのなら、ルールブックに記載されているとおりの代償は支払ってもらうが(それがどんなに不本意であっても)……。


ランド・オブ・ザ・ギルティ

ランド・オブ・ザ・ギルティ


 なお、蘇生に関して個人的に印象に残っている面白いゲームは、ルーンクエスト。蘇生呪文の成否が、相手のPOW(意志力)との対抗判定になっており、復活させようとしている相手の意志力が高ければ高いほど復活させにくい(そして、英雄と呼ばれる人間のほとんどは意志が強い)というシステムだった。
 これは背景世界「グローランサ」の世界観を反映したものだ。グローランサでは、死ぬとは「冥府への道筋に着くこと」であり、生き返らせる行為は「相手が冥府に向かおうとしているのを無理矢理逆走させる行為」である為、相手の抗おうとする意志が強ければ強いほど、難易度が上がるのである。


ドラゴンアトラス―ルーンクエスト’90sワールドガイド

ドラゴンアトラス―ルーンクエスト’90sワールドガイド


 思えば色々なゲームを遊んできたのに、キャラの復活についてはほとんど印象がなく、自分でも拍子抜けしている。たぶん、私自身がGMとしてキャンペーンをするときは、どんなゲームでも大抵人間メインの物語になる関係上、蘇生呪文をほとんど禁じ手にしてしまうため、印象が残らないのだろうが……。