それは望まれた道なのか

ポスト宮崎駿、細田守の魅力とは何か

「バケモノの子」55点


 超映画批評は時々見当違いのことを書いてるから全面的に信用はしてないんだけど、今回ばかりは大筋は賛成。
 追記:実際に観に行くことになったので感想についてはそちらをご覧ください。

このサブストーリーは唐突なようにも思えるが、じつは細田守監督の強みというのはここにある。

考えても見てほしい。図書館での出会いや壁ドン、一緒に仲良く勉強、ワンギリ待ち合わせ、美少女なのにクラスで孤立するヒロイン……。

そういうものは、オタクアニメの典型的パターンであり、どれもこれも非現実的で妄想チック、痛々しいことこの上ないはずの設定である。

ところが細田監督は、そうしたオタクアニメの雛形を、すんなり普通に見せられるのである。断言するが、この監督最大の才能はこの点にある。くさすぎる要素てんこ盛りでも一般人に見せられるアニメ監督というのは、この人くらいではないか。

だから本当は「時をかける少女」とか、そういう方向性の映画をもっと作ってくれればいいのだが、そうでない映画が大ヒットしてメジャー入りしてしまったがために、ジブリ的王道路線を背負うことになってしまった。

器用だからそういうものも作れるが、そちらはまだ力不足というか、せっかくの個性と能力がいかし切れていない印象を「おおかみこどもの雨と雪」でも「バケモノの子」でも感じてしまうのである。


 細田監督はポスト宮崎監督ではない。明らかに違う。宮崎監督は「紅の豚」みたいなマニアックな題材でも一般向けとして作れる「パワー」があった。「千と千尋」だって普通の監督が作ったらロリコン映画になってしまう。それを力づくでねじ伏せる「エネルギー」が宮崎監督の個性だった。
 時かけを見る限り、細田監督にテーマを力づくでねじ伏せるパワーはない。むしろテーマを小奇麗にまとめるセンスというか、おしゃれじゃないものをおしゃれに見せるテクニックが細田監督の個性だ。私のような人間にとって、細田監督の一番の傑作が「時をかける少女」だと考える理由はここだ。サマーウォーズの「大家族」。「雨と雪」の子育て。どれも物語として消化しきれていない、妙な説教臭さを感じる。ワンピースのオマツリ男爵や時かけで監督が向かっていた方向は、そういう方向じゃなかったんじゃないの?

 不思議というか、よくある話というか。亡くなられた栗本薫氏についても似たような文脈で語られることがあるが、細田監督がハウルを降ろされ、一番大変だったと語る時こそが、一番作品に魅力があった。追い詰められた者のギリギリ張り詰めた空気というか、そういうものが感じられた。世間から評価され、持ち上げられ、一般受けのするテーマを盛り込んだ結果、どんどん尖ったところが削れてきているんじゃないか、そんな気がする。


 最後に一言。私は「バケモノの子」を観ていないので、上記は「バケモノの子」への評価ではない。むしろ「なぜ『バケモノの子』を観に行かないのか」の理由というべきものだ。