http://d.hatena.ne.jp/sinjowkazma/20090905/1252143285
昨日の4gamerの記事からリンクが張られていた、賀東さんと新城さんの対談。
この対談を読んで自分の考えをまとめてみようと思ったけど、なかなか難しい。
昨日の日記に「ゲームには物語は必須ではない」と書いたけど、果たしてそれがライトノベルにまで言えるものかどうか。らきすたやけいおんは元が4コマ漫画だから、物語の要素は薄いけど…(「棺担ぎのクロ」みたいに、4コマであっても物語性の強い物も描けなくはないと思う)。
例に挙がっている「生徒会」に、お二人の考える物語の要素が少ないというだけという気もする…最近そういう作品が多いことは否定しないが、「生徒会」だけに関して言えば、求められていながらなかなか続編の出ない「ハルヒ」をそこに仮託して買い求めていく層がいる、という特異な事情のせいではないか? というのは穿った見方すぎるだろうか。
私は「ライトノベルには物語は必要だ」という立場だ。私も古い人間なのかな? なんか先日のまぶらほの日記と矛盾している気もするが、起承転結のあるコミカルな話だって、物語はあると私は考えている。
それに、キャラクター先行でストーリーのない作品って今に始まったことじゃないんじゃないだろうか。ライトノベルでこそないが、そのベクトルが極めて顕著だった作品が「センチメンタルグラフィティ」とか「電撃G’sマガジンに連載されている作品群(シスプリとか双恋とか)」だったりしたわけだけど、これらも本体のゲームがお粗末だったり連載が終了したらあっという間にブームは終息してしまった。
キャラクターは物語と違って寿命が短い。飽きが早いともいえる。物語という裏づけがないキャラクターはすぐに消える。綺麗なイラストはライトノベルの「入口」にはいいが、その先の物語が貧弱なら長くは楽しまれない。二つは車の両輪のようなもので、どちらが欠けてもダメなのだと私は思う。
うーん、やっぱり私は古いんだろうか? しかし、少なくとも表紙だけで本文のない「ライトノベル」は買う気にならない。先日も書いたように、時として一枚の絵は100ページの文章に勝る。しかし、絵では決して描けないものというものも、私はあると思う。それを求めている層は、これからも物語のちゃんとあるライトノベルを買い続けるだろう。
私はいまだに、新城さんの書いた「蓬莱学園の革命」の1巻を読み返しているのだから。
- 作者: 新城十馬,美樹本晴彦
- 出版社/メーカー: 富士見書房
- 発売日: 1996/06
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