性質が悪いのは誰だ

 先日のエントリで書いたことについて、当の外法師のプレイヤーと話す機会があったのでここで付け加えたい。
 彼曰く、当時そういう発言をしたのは、恐らく「七都市物語」のリュウ・ウェイ、あるいは作者である田中芳樹氏に対する反感を抱いていたからであろう、ということだ。そのことは今日まで知らなかったものの、それを聞いて思わずなるほどと頷いた。

「この調子で三〇年もたつと、わが家は、才能がありあまってるくせにやる気のない世捨て人のコロニーになってしまうかもしれないわね。ま、世の中はその逆の連中で溢れかえってるからこれでいいんでしょうけど」(七都市物語「ジャスモード会戦」)


 もちろん、いい訳がない。
 田中氏の作品に通底する価値観として「権力は悪」というのがある。自分で権力を握ろうという野心家のほとんどは自分の欲望のために手段を選ばない悪人として描かれ、主人公側に「魅力的な野心家」がいることは皆無である。田中氏の価値観の根底に権力者への不信があるからだろう。
 ラインハルトやヤン、アルスラーンやカルマーンといった彼の作品に登場する王や指導者は、為政者や戦闘指揮官として有能という描写はあっても権力には恬淡とし、いわゆる俗っぽいところ、“征服王”イスカンダルがいう「誰よりも強欲で、途方もない夢を見ることで人々を魅惑する」部分のない人物である。*1彼の理想とする王は“騎士王”アルトリアがいう清廉潔白な人格者なのだ。個性が強いところはあったとしても、権力欲のない人物しか田中氏の想定する理想の王たりえない。*2
 しかし、田中氏自身もリュウ・ウェイにこう言わせている。

 何よりも指導者の必要条件は意欲だからな。(七都市物語北極海戦線」)


 こう書いていてなお、彼の作品には「意欲を持つ魅力的な指導者/才能がありあまっていてやる気のある指導者」が登場しない。恐らく、それを描く引き出しがないからだろう。

フレンド・オブ・ゲイルスバーグ

 などと書いているが、私も高校生の頃までは田中氏の作品の影響を強く受けており、彼がいうような為政者を理想と考えていた時期があった。それが変わるきっかけになった一つの作品は、新城カズマ氏の「蓬莱学園シリーズ」である。
 この一冊は、まさに私の価値観を変えた一冊だった。この作品に登場する鉄道管理委員会委員長、野々宮花江や「微笑む宰相(スマイリング・スチュワード)」ジョシュア・ゲイルスバーグと彼の友人たちの奮闘ぶりに、私は目から鱗が落ちる思いがしたものだ。

「与えることのできる者が与えなかったら、いったい世の中はどうなってしまうか! そして受け取るべき者が、受け取らなかったら!」(蓬莱学園の革命!)

「陰謀なんてのは、負け犬の選ぶ道だよ! しかも、この道は必ず袋小路なんだ。なぜといって、優位にたっている者なら、そもそも陰謀に頼る必要がないんだからね! 陰謀だって? そんなもので歴史をつくれるもんか。陰謀好きとか、策謀家とか、黒幕とか、秘密の組織とか、影の政府とか、そんな代物に成り下がった時点で、そいつはもう負けているのさ。
 一般生徒に力があるのは投票日だけ、なんてのは、あれは嘘っぱちだよ……残りの三六四日こそ、彼らが主役なんだ。そのうち一日でも僕らがミスをおかせば、投票日に彼らはいうことを聞いてくれない。でも三六四日間、僕らがしもべとして仕えていれば、熱狂と従順をもって僕らに票を入れてくれる。三六四日もの間、陰謀を続ける気になるかい? そんなに気力が持つかい? できるもんか! 正直の方が圧倒的に安上がりさ」(蓬莱学園の革命!)


 ジョシュアも花江も、清廉でもなければ潔白でもない。それどころか善人かどうかすら怪しい。しかし有能だ。そして蓬莱学園というカオスにあっては、清廉潔白なだけの善人は有能になり得ない。イスカンダルの言葉を借りれば「無欲な王など飾り物にも劣る」。だからこそ、八雲執行部はジョシュアという策謀家を必要とした。
 権力への「野心」を持つことは優れた権力者の絶対条件であり、もっとも必要な資質である。権力を守ろうという意欲なしに為政者としての能力を発揮することは非常に困難だからだ。野心家を悪役に据えるだけでは世界は回らない。田中氏のしばしば描く「才能はあるが野心はなく、本人にとっては不本意なことに偶然権力者の地位に着いてしまった」などという人物は、「無能」と評されても仕方がない。
 田中氏の作品は面白いが、少なくとも権力の側に立つ人間の描き方では明らかに新城氏に軍配が上がるし、群像劇として魅力的なのは蓬莱学園のほうだった。だからこそ私は、天羅のそのセッションにおいて「論破」されたのだと思う。


 しかし、思い返しても蓬莱学園は名台詞の宝庫にして名作だ。巨大学園ものでこれを超える作品の存在は寡聞にして聞かないし、他の作品(ネギま! とか)に与えた影響も大きい。続編の可能性がほぼなくなってしまったのが返す返すも残念で仕方がない。

*1:ラインハルトの「銀河を手に入れる」というのもキルヒアイスとの絡みがあったからであり、彼を評して「権力欲の旺盛な野心家」という人間はいないだろう。

*2:ヤンは「権力を欲しない人間が権力者の座にいるという矛盾を自覚しつつ最期を遂げた」のでまだ共感できるのだが、リュウ・ウェイは議員の地位にあり責任を自覚しつつも逃げ、しかもその後AAAに政治的助言をするなど政治に関わり続けているので性質が悪い。彼を評して世捨て人というのは明らかに不適切だ。客観的に見れば、彼がやっていることは創竜伝1巻の悪役「鎌倉の御前」となんら変わらないからである。