無謬ではなかった巨人

 さて、またまた前のエントリから間が開いてしまったが、もう一人のピコピコ少年の続きである。

 私はファミコンを持っていなかったともう何度も何度も書いているが、じゃあ私が携帯ゲーム機以外のゲーム機を持っていなかったかというと、そうではない。厳密に「ゲーム機」と呼べるかどうかはともかくとして、ゲーム機らしきものを私は持っていた。

 それがMSXだ。


MSX(エム・エス・エックス)とは、1983年に米マイクロソフトアスキー(現アスキー・メディアワークス)によって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格の名称であり、MSXとその後継規格であるMSX2(1985年)、MSX2+(1988年)、MSXturboR(1990年)の総称でもある。最初のMSXを便宜上『MSX1』と呼ぶことが多く[1]、他に『初代MSX』と呼ばれることもある。MSXturboRでは16ビットのCPUを採用した。


 あの巨人マイクロソフトも、かつて規格争いで時代の波に押し流されたことがあるというのが今となっては意外に思える。

 それはさておき、ファミコンを買うことには断固反対し妥協しなかった私の両親であるが「勉強に使うから! 勉強に使うから!」と泣きながら拝み倒したMSXの購入にはそれほと反対しなかった。というと、当然「もちろん勉強なんかには使わなかったけどね」と続きそうだがあにはからんや、実に非常に役に立ったゲームが一つある(後述)。
 当時ファミコンの代わりとしてMSXを買った身ではソフトの少なさに歯軋りしたが、今から考えてみると(現金な話だが)MSXもまた面白いマシンだった。特に「家庭用のテレビに繋げられるPC」というコンセプトは後にも先にも他になかったし、その低価格もずっと後になってPCの価格破壊が起きるまで比類のないレベルだった。

 さて、私がMSXで遊んだゲームは「イー・アール・カンフー」(アーケードともFC版とも違う中身) と「フラッピー」だったがフラッピーはあまりの難しさに全200面中5面で放り出してしまった。
 その次に私がハマったゲームが「カラ丸珍道中」だったl。これは今は任天堂の社長をしている岩田氏が在籍していた「HAL研究所」というメーカーのゲームで、簡単にいうと「地図を頼りに日本のあちこちを飛んで旅をする」というゲームである。



 画面には目的地の県名、県庁所在地が表示されているが、地図には目的地の都道府県がどこなのかは表示されない。つまり、都道府県の場所を覚えていないとクリアできないゲームなのだ。しかもこのゲーム、後半になってくると都道府県に伏字が入るようになり、県庁所在地だけから場所を特定しないといけなくなる。
 私はこのゲームで全国都道府県の位置を覚えたといっても過言ではない。


 あと印象に残っているのは「ロードス島戦記」(MSX2)だろうか。中身はともかく読み込みの長さが尋常ではなかった。製作者たちは「読み込み時間を短くするため、エンカウントする前に選択肢を出すようにしました」と雑誌のインタビューで語っていたのだが

(読み込み)
「遠くに敵がいます。近づきますか?」(はい/いいえ)
(はい、もしくはいいえを選んだが逃げられなかった場合再度読み込み)
「敵と遭遇。逃げますか?」
(戦う場合、あるいは逃げられなかった場合再度読み込み)
「戦闘」
(終了後読み込み)

と、選択肢のせいで余計に読み込みが増えたとしか思えない、すごい仕様だった。



 とはいえ、今であればクソゲーの烙印を押されかねないゲームであっても、当時は貪るように遊んだものだ。
 MSXに熱中する日々は、私がゲームボーイを買うまでの間続いたのである。