白と黒の輪舞

 もう一人のピコピコ少年もいよいよ少年と呼ぶには少々苦しい年齢、大学生になる日がやってきた。大学生になるということは18歳を越えるということであり、18歳を越えるということは18歳未満お断りのゲームが遊べるようになるということでもある。いや、そういうゲームだけに限らず、当時PC98には評判のいいゲームが揃っていたんだよ?(ガイナックス自身が作成した「不思議の海のナディア」だとか「サイレントメビウス」だとか)。

 ところが、ことここに至ってもピコピコ少年の性癖は変わらなかった。つまり普通のパソコンではなく、市場に出たばかりのノートPCを血眼になって探したのだ。
 入力するためのデバイスであるキーボードと、出力するためのデバイスである液晶画面。それ以外の余計なものは一切ついていないシンプルな構成こそ、ゲームボーイからPCエンジンGTへと移り変わっていった私のゲームライフの次の到達点だった。
 そして、私がたどり着いたのがPC−9801NというPCだ(もちろん中古だ)。



 今のPCに比べれば不便なことこの上ないPCである。まずハードディスクがない(当時はハードディスク自体あまり一般的ではなかったが……)。また、FDが1台しかなかったので、当時のゲームの標準仕様である「1台目のFDにセーブディスク、2台目のFDにプログラムディスク」という要件を満たすことができなかった。
 そのため、本体に内蔵されているRAMディスクにセーブディスクをコピーし、FDは2台目のドライブとして使うという方法で対処するしかなかった。当然違うゲームで遊ぶ時はRAMディスクの中身を書き出してからでないとセーブデータがすべて消えてしまう(当時は、プロテクトが掛けられているゲームでもセーブディスクだけは書き換え、バックアップが可能なように解放されている場合が多かった)。
 また、当時のノートPCの液晶はまだカラー画面ではなく、モノクロ8階調液晶だったため、美麗なカラーグラフィックを売りにしているゲームでも白黒画面で我慢するしかなかったのだが……これはそれほど違和感がなかった。その頃のゲームは起動時にカラーかモノクロ液晶を選べるようになっていたり、GBのモノクロSTN液晶に慣れている身だと8階調液晶で画面が大きいというだけでも綺麗に見えたものだ。
 しかしサウンド面の貧弱さとSTN液晶独特の液晶反応速度の遅さだけはいかんともしがたく……(次回「3DダンジョンRPGへの憧憬・ダイナソア」へ続く)。