聖杯問答

『Fate/Zero』第11話・・・ライダー△、王の軍勢まじSUGEEEEEEE  そしてセイバーンゴwww


 ついにアニメでもこのエピソードが放映された。Fate/Zeroの物語の本筋は(基本がバッドエンドであるために)私はあまり好きではないのだが、このエピソードは気に入っている(その理由については後程)。


(以下、Fate/Extraのネタバレあり)












 そして、私がセイバー赤ことクラウディウス*1が好きだと前に述べたのも、実はこのエピソードと関わりがある。

 アルトリアはイスカンダルに一方的に論破され、傷心のままその場を去る。だがもし、この宴に同席したのがもう一人のセイバーであったならどうだっただろうか、と思うのだ。

 クラウディウスもアルトリアと同様、悩みや苦しみを抱えるサーヴァントである。自分は相手を愛しているのに相手から愛されないという苦悩。しかしFate世界における彼女は、一切後悔していない。人生を楽しんだと満足して上で死んでいる。何より、彼女は自分の欲望に忠実な、イスカンダルがいうところの「暴君」だ。アルトリアのような聖者でもなく、呪いのような使命感に縛られてもいない。
 そう、クラウディウスイスカンダルは似ている。身勝手でわがまま、高飛車で上から目線、しかし何故か憎めない──。クラウディウスは他国を征服こそしなかったが、その分芸術を愛し、男女を問わず美を慈しむ。

 考えてみれば、これは物語の必然なのかも知れない。本編のFateストーリーは、アルトリアが運命から解放される物語だ。ということは、その前提として彼女は乗り越えるべき運命を持っていなければならない。
 Extraにおいては逆だ。何も分からず何も知らず、導き手を必要としているのは主人公(デフォルトネームはない)の方だ。ゆえにウェイバーを導くイスカンダルのように、クラウディウスにもまた「迷い」がないのだろう。

 イスカンダルの杯を受けたのがもしクラウディウスだったなら──恐らく二人は王の在り方について意気投合し、笑って盃を交わせたのではないだろうか。そしてまた、それゆえに融和することなく、己の信念を貫いて剣を交えることになったのではないかという気がする(あるいは、似すぎている二人はあえて酒席で王の在り方について語らう必要すら感じないかもしれない)。
 その代わり、クラウディウスギルガメッシュの目には適わないだろうし、芸術や美については妥協できずに大喧嘩しそうではあるが……(そしてそうなったら、クラウディウスに勝ち目はないだろう)。

 念のために書いておくが、以下の台詞はイスカンダルではなく、クラウディウスの(ガウェインのマスターに向かっての)台詞である。

「資格があるから王となる。ふさわしいから王となる。
 では奴は王となった後、何を成すのか。

 あれは王という名のデウスマキナ。
 己の欲望が民に結びつかぬ王などつまらぬ。達成感がない!

 正しいだけの王政など監獄と同じであろう。
 正しく、また華々しく栄えてこその人間だ。そうは思わぬか?」


 イスカンダルがセイバーに向けて発した言葉とよく似ていると思うのは、私だけではないはずだ。

*1:彼女の真名を前提にしないと今回のエントリは意味不明になるので、あえて書く