終焉の詩


 ファーラムの剣を巡る物語、ここに完結。


(以下、辛口の感想も含めたネタバレになりますので嫌な人はここで回避を)












 私はこれまで、次のようなことをあちこちで口にし、また書いてきた。


ソードワールドは、なぜソードワールドという名前なのか?」*1


 答えは「ファーラムの剣という一本の剣が全ての命運を決める世界だから」である。
 ソードワールドに危機をもたらす魔精霊アトン、そしてそれを打倒し得る唯一の魔剣、ファーラムの剣。その存在は魔法戦士リウイシリーズの展開よりずっと前、本体ルールブックが発売されるより前のドラゴンマガジンの最初期の展開で、既にクローズアップされていた。それが、TRPGとしての展開が進めば進むほどアトンについての記述が減っていったのである。
 しかしそもそも、ラヴェルナがソードワールドワールドガイドを執筆したのはアトンに対抗するためだ。いや、もっと大前提に言及すれば、アレクラスト冒険者が古代の遺跡を探索するのもファーラムの剣の手がかりを得るためだったはずだ。

 言い方を変えれば、アトンが倒されればアレクラスト冒険者の役目は終わる。こんなことは最古参のファン、あるいはファンだった者からすれば自明のことだ。だから今回のエピソードは、もう25年も前からアレクラストサーガを見続けてきた者としては、いささか思い入れのあるエピソードなのだ。

 今の水野氏の文章は私の好みにはあまり合わないが*2、水野ゲームマスターによるワールドガイドの記述として読むとなかなか興味深かった。ロドーリルが滅亡し、てジューネ女王が処刑されるとか、オランがアノスに滅ぼされるとか、ロマールとファンドリアが同盟してラムリアースとオーファンに攻め込むとか。この辺りはワールドデザイナー自らでなければ動かせない部分だろう。

 しかし、展開的にリウイがファーラムの剣を使ってアトンを倒してしまうところまでは覚悟していたものの、それ以外の展開も個人的にはかなり納得が行かない点が多かった。
 ルキアルがアトンについての情報を使ってアレクラストの人々を扇動し、蜂起させるという展開。それそのものはわかる。アトンを解放したのがオランの魔法ギルド重鎮バレンを含む「見つける者たち(ファウンダーズ)」であることは、アレクラストサーガの初期から明かされており、各国の首脳クラスがその情報を隠匿していたことも事実だからだ。リウイたちのやっていることは本来、責めを負うべきことなのである。

 納得行かなかったのはその後の展開だ。

 まず、人々を扇動したルキアルは徹底的に悪役に描かれ、それに従う人々はひたすら盲目的、かつアトンに対しては役立たずに描かれる。つまり、この物語では「革命は悪」なのだ。そして、この戦いが終わった後、別に共和国が勃興するわけでもなんでもなく、滅ぼされた国に代わって普通に王国が樹立され、統治する時代に戻るのだ。つまり革命は完全に失敗に終わるのである。
 昔、ソードワールドの作品群の中に「ソードワールドアドベンチャー」というシリーズがあった。アレクラスト冒険者が「ロックバンド」をやるというテーマの作品で、私はそれを見て凄い疑問を抱いたものだ。ルネサンスフランス革命もない世界で、果たして「体制に反抗する」ロックは成立し得るのか? と。
 作者である山本氏がリウイサーガの結末を見た時の感想をぜひ聞きたいものだ。何しろリウイサーガのテーマは「体制に反抗しても、所詮無力な一般人にはアトンどころかその眷属にも手が出ないでしょ? だから反抗しても無駄なんだよ。大人しく王侯貴族に従ってなさい」という結論だったことになるのだから。

 いや、これは英雄物語なのだから、普通の人々が無力なのは当然だという人もいよう。──では、私たちプレイヤーがその存在を仮託した、リウイ以外の冒険者たちはどうだろうか?
 アレクラストサーガにはあれだけの人々が名を連ねたにも関わらず、作中の冒険者は有象無象としてしか描かれない。その数1万人。つまり私の、貴方のPCもその有象無象の恐らく1人なのだろう。彼らは何をやったか? アイラの商会から金をもらってアトンの恐ろしさを人々に喧伝するのがその役目、あとはリウイの援護射撃くらいの出番しかない。
 つまり我々冒険者は、リウイという存在の引き立て役でしかない、というのがソードワールドの結論ということになってしまう。そこには人格どころか名前すらない。これこそ究極の吟遊プレイであろう。

 さらに私が納得いかなかったのは後書きのこの部分だ。

 クライマックスで「ファーラムの剣」を手に無の砂漠に集う冒険者は「ソードワールド1.0」で遊んでくれたすべての方々のキャラクターだと思って書きました。そのすべてが本物でもいいと私は思っています。

 アレクラスト冒険者は、その最大の存在意義をリウイに奪われた。無の砂漠に集う冒険者の持つ「ファーラムの剣」が本物でもいいと書かれているのは一種のフォローなのかもしれないが、実際に作中で本物として描かれるのはあくまでもリウイの剣であり、我々プレイヤーにはファーラムの剣の入手法もアトンのデータも提示されることはなかった。これで「あなたのが本物です」と言われてもとても納得はいかない。

 そしてこれだ。

 アレクラスト大陸を舞台にした物語が、これで終わったわけではありません。

 この物語が終わった後にも冒険者の活躍があり得る、というのは、今回のリウイサーガでしっちゃかめっちゃかになった後の世界をちゃんと記述したサプリメントが発売された後に初めて言えることだ。それがないのなら「アレクラスト大陸はTRPGの舞台として使える場所でなくなった」と言った方が適切だろう。*3そもそも人々が王侯貴族に剣を向け、それに冒険者が応戦するなんていう図式を作ってしまった時点で「今後、一般人から冒険者の依頼なんて誰が引き受けるんだろう?」というのが素直な感想だ。
 ソードワールドアドベンチャーの流れを踏まえるなら、冒険者こそが一般人を守る盾にならなければならなかったのではないか?

 しかし私は今回の物語に、いささか運命的なものを感じる。

 フォーセリアにおいては、人々は無力であり、革命は失敗した。王侯貴族は以前と変わらず人々を支配し続ける。
 トーキョーNOVAにおいては、革命は成功した。秘密のヴェールは取り払われ、隠されていた真実が暴かれ、世界は変貌した。

 いかがだろう。恐らく単なる偶然なのだろうが、象徴的とはいえないだろうか? 

*1:1.0、つまり旧版のみの話。

*2:描写がゲーム的というかなんというか、登場人物の外見描写一つ取っても小柄だとか髭が生えてるとか客観的事実以外がほとんど描写されないため、主観視点であるリウイの心情に共感しづらい。それは置いておくとしても、まさか途中リウイが古代魔法王国にタイムスリップするシーンで、まさか古代魔法王国の描写を一行もしないまま終わるとは思わなかった。

*3:この小説を一切無視して以前と変わらない設定でプレイするならもちろん話は違うが。