大人気ザナドゥ


 動画の冒頭で「1週間で10万再生」とあり、現在動画アップロードから1日で1.4万再生。ハイドライドの約5倍である。チャンネルそのものの知名度が上がったから、というのももちろんあるだろうけれど、一つ前のサラトマなどと比べても明らかに再生数が多い。
 個人的にも、RPGの方が見ていて楽しい。というのも、テキストアドベンチャーだと基本的に解き方は一つしかない。知らないゲームなら物語を知る楽しみがあるが、知っているゲームだと、予め全てがわかっているということになる。これに対してRPGは進め方が一つではなく「その人がどう進めるか」を自分の経験と比べられるので、プレイ経験者でも見ていて楽しいからだ。

 ただ、前回でも今回でも言われてるけど、私はこのゲームの「パズル的な要素」も苦手だったんだよな……特にシステムからのリソースが有限で「経験値稼ぎをやりまくってゴリ押しで撃破」みたいな攻略ができないのがなんとも。で、よく考えてみたら、ドラゴンスレイヤーシリーズでそういった「レベルを上げて物理で殴る」系の攻略ができるようになるのは5から。1~4まではどれも力押しのできないゲームだった。

貴方が言うのか

togetter.com


 私はこの議論の元になった「JKハル~」という作品は知らないし読む気もないので批判はしない。ただこの記事を読んだ私の感想は「(旧)ソードワールドにロックバンド(ナイトブレイカーズ)出した貴方がそれを言うのか」だった。
 コメント欄では「いいモンスター」(デルヴァ砦)「善人のファラリス神官」(サーラの冒険)にも触れられてるけど、私のプレイグループで一人を除いて全員が嫌い、私自身に関して言えば虫唾が走るほど大嫌いだったのがナイトブレイカーズだった。これに関しては前にも書いたことがあるが、もうちょっと詳しく書く。なお、私は本作を最初から最後まで、全巻購入して読破していることを断っておく。


 文字通り、ナイトブレイカーズは「アレクラストでロックバンドをやる」というストーリーだ。私がこのシリーズが嫌いだった理由は大きく分けて二つあり、一つは主観的なもの、一つは客観的なものである。


 まず主観的な理由だが、ナイトブレイカーズでは、ここでいうファンタジーにシャワーとか、ファンタジーで下着とか、ファンタジーで眼鏡と同様、ファンタジーでいきなり「ロックバンド」という発想に至るまでの、現実世界における文化的背景の過程のようなものが、完全に無視されているのが受け入れ難かったからである。まだ「シャワーは水の精霊が水を作って火の精霊が火を起こしてお湯を出してます」と言われたほうが説得力がある。魔法だのなんだの説明がつく「技術」と違って、「文化」は一行では説明のしようがない。「アレクラストに住む人間」の精神性に直結する話だからだ。
 そもそもアレクラストは、魔法戦士リウイで描かれたとおり「王侯貴族と冒険者が結託し、世界危機の真相を知って蜂起した市民を弾圧する」世界である。こんな世界観で反体制など標榜して喧伝したら当然起きるはずの展開が、本作では一切起きないのは不自然だ。
 私や友人たちがソードワールドをほとんど遊ばなかった理由として、リウイやリュクティに代表される、アレクラストの「ファンタジーなのに妙に現代的」な感覚が好きではなかった、というのはかなりの比重を占める。
 とはいえ、ここまでは「ファンタジーに眼鏡」と同様、あくまでも主観的な好みの問題だ。「アレクラストはそういう世界だ」と言われてしまえばそこまでだ。


 しかし、ここからは客観的な理由である。
 アレクラストは単なるファンタジー世界ではない。「TRPGの背景世界として使われる」ファンタジー世界である。その公式リプレイ、公式小説で「登場人物が無暗に現代的な感覚を持っている」ことは、実際のセッションで現代的な感覚を持ち出すことへの傍証に使われてしまうのだ。これは、ナイトブレイカーズが好きか嫌いかに関係なく、当時ソードワールドでセッションをやっていれば起き得る事態だった。
 よくネタにされる話として、ソードワールドQ&Aで清松氏や水野氏が「敵の血液にピュリフィケーションをかけて真水にして殺せますか」みたいな質問に対して「常識で判断しろ」みたいな返答をしていたが、*1なんのことはない。「ジャイアントスラッグが二酸化炭素を出す」のをシナリオの鍵に使った水野氏にしても、ファンタジーにロックバンドを出した山本氏にしても、プレイヤーたちは公式の姿勢を模倣しているだけなのだ。公式で「ファンタジーでロックバンド」をやっておきながら、「PCが起こす粉塵爆発」は認めないというのは筋が通らない。実際、私はソードワールドのセッションで「自動ドア」(もちろんセンスマジックに反応しない)と「ジッパー付きのポシェット」を出されて目が点になったことがある。
 「JKハル~」がどのような世界観を持っていようが、それを読んだ人間にしか影響を与えない。しかし、ソードワールド公式小説の世界観は、そのままそれを読んだGMやプレイヤーの世界観に影響する。しつこいようだが、その結果セッションで困るのは筆者ではない。GMであり、プレイヤーだ。もちろん、これは某氏のように「中世には風呂がなかったんだからファンタジー世界の人間は不潔にしろ」というような話ではない。プレイヤーが不快になるようなセッションは論外だ。参加者全員が不快な思いをせずにセッションができる「ファンタジー」の前提条件をどこに置くか、という話だ。これはかなり重要な事項であるにもかかわらず、ソードワールドはルールブックのどこにも、それに対するサジェスチョンを記載していない(例えばブレカナは「ロードオブグローリー」にちゃんと記載がある)。*2


 もちろんこんな話、彼らにとってもとんだ古証文だろうが、その証文を棚に上げて今現在他人の作品をあれこれ言っているのを見ると、ソードワールドで「ワイトが自動ドアを開けるダンジョン」とかを出された経験を持つこちらとしては、脳裏に巨大な「おまいう」という文字が浮かんで消えないのである(笑)。
 しかし、議論になった時海外のマイナー作品引き合いに出してマウント取ろうとするとか、典型的なSF老害ムーブ過ぎて笑えるな……。

*1:まぁ「ダンジョンに入るのが面倒だから火をつけて燃やそう」なんて言い出す人間の「常識」を推し量るのなんて不可能なんだけど。

*2:なお、このシリーズには他にも「メイジスタッフで杖術を使う格闘家」のように「本来ルールが想定していない状況で、普通のプレイヤーが真似すると危険」なキャラクターが登場する。